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2691
Date: 2018-02-27 (Tue)
「マントルは熔融している」ことがまだ分からないのだろうか?
現代地球科学が迷路に踏み込んだ分岐点が「地震波の挙動の勘違い」にあります。
しかし、それは膨大なる科学研究費の浪費を意味しています。

Yahoo知恵袋に、マントルは固体か液体か?という迷路の入り口の看板のような議論があります。

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マントルは固体ですか?液体ですか?

rtu54ppさん
2008/8/1717:00:53

マントルは固体ですか?液体ですか?

教科書には固体と書いてありますが、親が液体と言い張っています。昔の教科書はマントルは液体って書いてあったのですか?

chie_irukaさん
2008/8/1719:00:19

思い違いをしている人は多いと思います。
親御さんは「マントル対流」という言葉もたぶん知っていると思います。
「対流するから液体のはずだ」という思い込みをしている人は多いと思います。
マントルは固体です。
固体でも長時間のスケールで見ると対流するのです。
感覚的に理解しづらいのでマントルは液体と間違えて思い込んでしまうのだと思います。

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既に[2339]、[2341]レオロジーに関すると地球物理学者の間違い解釈などで解説しましたが、マントルは粘弾性体であり、石本先生の解説にあるように、固体ではありません。固体地球物理学という概念が間違っています。
「昔の教育」を受けた親のほうが正しいのです。

粘弾性物質は極めて緩慢に作用する力に対しては、恰も粘性ある液体の如く、(いっぽう)急激に変化する力に対しては所謂弾性体の性質を現すのである。

今の教育では「せん断波が伝播するから個体である」と決め付けていますが、高速で走るトカゲには水も固体に見えるのと同じで、「トカゲが走れたから固体である」わけではありません。低速の人間は沈んでしまいます。
 同じように、せん断波が伝播したといっても、短周期の微弱な部分だけですから、個体であるとは言えません。地殻の下には、何処にでも液体のマントル、つまりマグマが存在します。

 何でこんな簡明な粘弾性体の理屈が地球物理学者や地震学者に理解できないのか不思議です。

  今の大学教育では、やたらと「お前は勉強不足だ」「教科書を読め」とだけ叫ぶ膨大な数の“知ったかぶり”似非学士を作っているようなものです。

ここ数十年間の地球物理学は迷路の中をさ迷っています。
大陸が短期間に沈没したことさえ理解できなくなっています。
学問の退化です。

2692 
Date: 2018-02-28 (Wed)
「斉一的な変化」はアニミズム的信仰であることがまだ分からないのだろうか?
 セミナーを始めたころに([334]参照)、「とりまき」氏から「真面目に研究している方を愚弄するような言葉は慎め」というお叱りを受けたことがあります。しかし、15年経っても研究者の姿勢に変化がないので、自然と言葉がきつくなります。ご容赦ください。

ちなみに、厳しい言葉を投げる人もありますので参考のため・・・

なぜ「今の地震学」に疑問を持たないのだろうか?

「地震学者」と「マスゴミ・メディア」への怒り

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プレートテクトニクス理論は「斉一説」というアニミズムのような信仰から抜け出せない人の考え方です。「激変説」とは違って、年間数ミリの斉一的な変化が重ならないと大きな変化は起きないというものです。

 正しいと信じているのですから、それがアニミズムのようなものだとは思っていません。したがって別府湾に浮かんでいた瓜生島のことも、高知湾にあった集落が沈んだことも、逆に「学問の無い愚かな住民の思い込み」という扱いをしてしまっています。

 ムーやアトランティスに関しても一切を切り捨てています。“学問的知識がある”と思い込んでいる似非学士がネット上を席巻しています。
Yahooの知恵袋から紹介します。

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プレートテクニクス理論は間違っていて、ムー大陸やアトランティス大陸は存在して...
lonrlyfreeman309さん
2011/9/2209:26:36

プレートテクニクス理論は間違っていて、ムー大陸やアトランティス大陸は存在していたが、15000年前ぐらいに、長年の悪想念による天変地異によって、陸地が沈んでしまった、というのは事実だと思いますか。

ベストアンサーに選ばれた回答
mikjiisanさん .
2011/9/2218:12:22

プレートテクトニクスの基本的な概念が間違っているということは考えられません。
今は宇宙測地(人工衛星や天体からくる自然電波)を利用して、地球全体の測量ができる時代です。地球上のどことどこがどんな速度で離れたり近づいたりしているかは、非常に正確に求められています。この結果から考えて、プレートテクトニクスが根本的に間違っているということはあり得ません。
かつてムー大陸やアトランティス大陸があって沈んでしまったという話ですが、大勢の人が住んでいた海岸近くの島が、大地震とともに沈んでしまったっていうことはありうるでしょう。しかし大陸と呼べるような大きな陸地が沈んでしまうということはあり得ません。もしそんなことがあったら、海洋調査で必ず発見されます。そのようなものはありません。

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しかし、激変説を証明する証拠はいくつもあります。シベリアの冷凍マンモスの胃の中には南方にしか咲かないキンポウゲの花が消化されずに残っています。

アレキサンドリアや、カンベイ湾、与那国島などから海底遺跡が見つかっています。激変説を証明するれっきとした証拠物件を正視しないのは、科学的な態度とは言えません。


エジプト・アレキサンドリア海底でみつかった碑文
(「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部、講談社より)

斉一的な変化ではあり得ない激的な変化である

紹介したベストアンサーには「大勢の人が住んでいた海岸近くの島が、大地震とともに沈んでしまったっていうことはありうるでしょう」という意見がありますが、プレート論では短期間に何故沈むのかを論理的には説明できません。小規模とはいえその地盤構成物質が何処へ消えたのか説明できません。

「しかし大陸と呼べるような大きな陸地が沈んでしまうということはあり得ません。もしそんなことがあったら、海洋調査で必ず発見されます。そのようなものはありません」ともありますが、それほど大掛かりな海洋調査をしたわけではありません。
大西洋や太平洋には、大陸でしか生成されない花こう岩の岩盤が何箇所かで見つかっています。アゾレス諸島では海底にピラミッドが見つかったという報道もあります。 プレート論や斉一論の“ほころび”がどんどん見つかっています。

後記:

反原発派の方々が、京都大学不正研究防止委員会は「入倉孝次郎の論文ねつ造問題」を取り上げろ、という活動をしているようです。

私は「論文が捏造されている」とは思いません。

確かに[2334]に書いたように、地震学者の回帰式理解は間違っています。

しかし、捏造という言葉は不適切です。「とりまき」氏が言うように「研究者を愚弄する表現」であると思います。 <b>後記:</b>

反原発派の方々が、京都大学不正研究防止委員会は「入倉孝次郎の論文ねつ造問題」を取り上げろ、という活動をしているようです。

私は「論文が捏造されている」とは思いません。捏造というのは意識的にごまかす作業のことです。

確かに[2334]に書いたように、地震学者の回帰式理解は間違っています。

しかし、捏造という言葉は不適切で、「とりまき」氏が言うように「研究者を愚弄する表現」であると思います。

ただ、「知識が無く、知らない」という罪だと思っています。「無知という罪」です。

2693
Date: 2018-03-01 (Thu)
このままでは日本の未来が危ないのではないだろうか
[2682]「文明の消滅」を回避しようで「文明の消滅の危機」の話を紹介しました。
現在の文明である第7文明が消滅して第8文明に移行する可能性もあるという話です。

実は3年前(2015年6月2日)にも大日孁貴神から「第7文明が終わるかどうかの瀬戸際」という話を聞いていたことを思い出しました。

「文明というのは、大陸ごと消滅したり、出現したりすることがある」
「小笠原で新島の出現があったように、「国の形」が変わるかもしれない。しかし、その前に国民の“洗い直し”が必要になる」


西之島新島

大日孁貴神はラ・ムー大王の教えの中興の祖に当たる日本の主宰神だそうです。ムー文明はバラバラの国に今は分裂しているが、もともと一つのものだと述べています。

大陸の浮上と「第八の文明」とが関連するのかどうかという質問には、

「そこは大きな秘密だから、あなた(質問者)ごときに、軽々しく教えるわけにはいかない」
「歴史が証明することだけど、「このままでは済まない」といっておきたい」

と答えています。(大震災予兆リーディング第2章小笠原沖地震の霊的背景を探るp154-157)

実はこの霊言の一年後(2016年4月)に熊本地震が発生しています。地震後の世情を見ても、マスコミの姿勢や世論が大きく変わったとは思えません。「洗い直し」が終わったとは言えないのではないでしょうか。

ところで、元総理大臣の福田康夫氏が「憲法を変える必要はない」(注:参照)といっていますが、日本の主宰神は、

「この国の国論やあり方そのものが、うやむやに物事(憲法改正)をして、惰性で「一部でも改正できればいい」みたいな感じの方向に動き、また、左翼に逆戻りするような動きが出るようでしたら、この国自体に「根本的なイノベーション」が起きるようなことがあるかもしれないといっている。今の与党にも(危険な面を)感じる。」

「GHQが作った憲法の、一体何を信じているのか。皇祖皇宗の神々を信じずにして、いったい何を信じているのか」

と語っています。

 自民党の憲法改正試案でさえ「天皇の命」を大切にしない、お粗末な思考です。

やはりもっと大きな何らかの「洗い直し」が来るのでしょうか。

私は[2678]に示した「新・日本国憲法試案」(聖徳太子からの直接霊筆による憲法案、行基の政治霊言p.10)で新生日本を迎えたいと思っています。

注:

福田元首相が講演「憲法改正の必要はない」
2月28日 17時41分

福田元総理大臣は東京都内で講演し、自民党が憲法改正の項目に掲げる「自衛隊の明記」について、安全保障関連法が整備され改正の必要はないという認識を示すとともに、自民党は改正しやすいかどうかの観点で議論を進めていると苦言を呈しました。

この中で、福田元総理大臣は憲法改正について「来年は皇位継承や参議院選挙があり、そのあとはオリンピックもあって、日程的に忙しい。憲法改正のような大きなテーマをやっている時間があるのか」と指摘しました。
そのうえで、自民党が改正項目に掲げる「自衛隊の明記」について「憲法を改正したい理由の一つに、他の国が行うようなPKO活動を日本ができない状況はよくないということがあった。ただ安全保障関連法を整備したので、当面はそれでいいのではないか」と述べ、憲法改正の必要はないという認識を示しました。

さらに、自民党内の憲法改正論議について「『改正しなければならない』というのが先に来てしまっている。『中身は通りやすいもので』という感じになってしまっていて、本当にいいのかという気がする」と述べ、苦言を呈しました。

2694
Date: 2018-03-02 (Fri)
産経新聞も含めてメディアは不勉強である
本日の産経新聞『正論』に、「メディアの『偽情報』に注意せよ」という主張がありました。

まったくの正論だと思います。
多くのメディアはどうして偏向報道ばかりするのでしょうか。その報道によって一番喜ぶのは誰でしょうか。日本を悪い国だと学校教育でも教えている隣国であることは誰でもわかることです。

自分の頭で考えている人は、報道がおかしいと気付いていると思います。

しかし、偏向報道が少ないと思われる産経新聞でさえ、地震学に関しては「間違い」を報道しません。活断層理論やプレート論が非科学的であることを報道しません。

反原発派の人たちが言う「原発はミサイル攻撃を受けたら日本が破滅する、だから危険だ、だから原発は所有すべきではない」という主張には賛成できません。
「お金を持っていると強盗に命を奪われる危険がある、だからお金を捨てよう」というようなものです。「強盗は取り締まれ、ミサイル攻撃をするような無法な国を許すな、対策を講じよう」と言うべきです。

でも、反対派が主張する「耐震基準を決める公式」の適用に問題があるという抗議は支持できます。

回帰式の解釈が間違っていること([2334]参照)は誰でも理解できる筈ですが、産経新聞でさえ報道したことがありません。これに関しては反原発派が正しく、メディアは不勉強です。

この問題に関しては言えば、福島第一原発で起きた事故は津波災害によるものであって、耐震基準の設定とは関係がありません。同じ震動で女川原発が無事故であったことからも分かる事実です

反原発派の人たちの主張には合理性がないことを、メディアは何故発信しないのでしょうか。

メディアの不勉強、不誠実な報道によって国論が揺れ、不必要な国力消耗が起きていることを嘆かわしく思っています。隣国はそれを喜んでいる事でしょう。藍・金・黄工作の成果だと評価しているのでしょう。

日本国はもっとしっかりしなければなりません。

第7文明を発祥させた責任ある国家だという気概を持つべきです

2695 
Date: 2018-03-03 (Sat)
地上の科学を霊人が誘導する時代の到来か?
[2689]に紹介した霊的存在者は

「結局、悪い宇宙人の宇宙船は逃げ出していますけれど、あの映画に出てこなかった「よい宇宙人」がいて、実はクラウド王に協力したんですね。
 その「よい宇宙人」は、実は、クラウド王とつながりがあって、クラウド王と交信していたのです。そして、地上に下り、クラウド王たちと実際に会い、友達になって話をしたりしました。」

と語っています。信じがたいような話ですが、この話を裏付けるかのような報道があります。ナスカで発見された完全に白い防腐剤で固められた、宇宙人らしき三つ指のミイラがレントゲン検査などに依り、本物と認定されたということです。

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 ナスカで発見された宇宙人のミイラ<(全部で6体?

【衝撃】ナスカで発掘された「3本指の宇宙人ミイラ」は本物だった! 学者が疑惑を完全払拭“フェイクではない”ことを証明!

SPECIAL REPORT: UNEARTHING NAZCA"

昨年6月、南米ペルーのナスカで発見された「3本指の宇宙人ミイラ」。これまで、多くの科学者らによってDNA検査、年代測定などが行われ、その様子はUFO探求サイト「Gaia」で公開されてきたが、ここに来て新たな事実が明らかになったという。英紙「Express」が報じている。

■3本指エイリアンは実在した! 放射線技師が断言

ナスカにある“聖墓地”で発見されたとされるミイラは6体。全身が防腐剤と思しき白い粉で覆われており、手足に異常に長い3本の指を持つ。コーンヘッドと呼ばれる長頭、人間離れした巨大な目など、“地球外生命体”を思わせるいくつもの特徴を備えており、UFOコミュニティが大いに賑わった。しかし、「世界ミイラ学会」からは、ミイラの“作製”に伴って“考古学的犯罪行為”があったのではないかと指摘されており、“偽物”だとする声も根強い。だが今回、ペルー人の放射線技師ライムンド・サラス・アルファロ氏が、そんな疑惑を一掃する事実を発表したのだ。

「3体のミイラを分析したところ、生きている生命体と同じ骨密度を持っていることが分かりました」(アルファロ氏)
「ミイラの頭蓋腔は人間のものと酷似していますが、重大な違いもあります。これは科学的に証明できることです」(同)
「もちろん、これらのミイラはかつて生きた状態で存在していたことは間違いありません。これは作り物ではないのです」(同)

■他の科学者も3本指エイリアンの実在を擁護しているが…

 また、特徴的な3本指も人工的に加工したものではないかと疑う声もあったが、Gaiaのプロジェクトに参加しているサンクトペテルブルク物理科学研究所のコンスタンティン・コロトコフ博士は、化学組成、DNA、年代測定から、その可能性は無いと断言している。

「手足の3本指がミイラそのものに属していることは疑いようがありません。このことは証明済みです」(コロトコフ博士)

プロジェクト主導者である著名UFO研究家でジャーナリストのハイメ・マウサン氏は、これらのミイラが人間よりも爬虫類に近い、いわゆるレプティリアンではないかと考えているようだが、昨年10月のDNA検査では人間のDNAと100%一致したことが判明している。そう考えると、手足の指が生まれつき3本になる遺伝子を持った古代人かもしれないが、それにしても、頭の形や目の大きさなど、人間と似つかわしくない部分があまりにも多い。一体これらのミイラは何者なのだろうか? 一刻も早く真偽論争に決着が着くことを願うばかりだ。
(編集部)

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この話は昨年(2017年)6月20日に動画で公開されたものです。[2689]にある宇宙人の話は7年も前、2010年6月に沖縄で収録されたものです。同書には次のようにあります。

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「 七千年前、プレアデスと地球は安保条約≠結んだ

司会 あなたは、いつごろ来られたのでしょうか。

プレアデス星人 私は、そんなに古くないのです。今から、そうですね、ちょうど七千年ほど前になります。古代インカのリエント・アール・クラウド王(エル・カンターレの分身の一人)がおられたころですね。
そのころ、悪い宇宙人が来ていたのですが、私は、いちおう、「よい宇宙人」として、悪い宇宙人たちから地球を護り、彼らを追い返しました。その後、地球がとっても好きになつたのです。
当時、今のアンデス山脈に当たりますけれども、標高四千メートルぐらいの高地に王国があって、リエント・アール・クラウド王が治めておられました。

このあと、[2689]の話が続く

以後、プレアディスと地球のエルカンターレ系団とは、日米安保のように、「何かあったらお呼びください」というようなかたちで、“安保条約”を結んだのです。」

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日本では宇宙人やUFOの話がまったくのトンデモ話になってしまうのですが、その点では ペルーは“先進国”日本は“後進国”です。

今後、霊的な存在者から伝えられる情報が地上の物的証拠で確認されるという状況がたくさん出てくるのかもしれません。

今はオーパーツ扱いになってしまう物的な証拠もオカルト(隠されたという意味)の世界から、開かれた世界に引き上げられる時代が来るのかもしれません。

[2658]「大日孁貴の霊言」にも、先史文明に関して、いずれ何らかの発見があると思われる、とありますが、日本が先史文明や宇宙人研究の最先端の場所になる可能性もあるでしょう。

Two Strange Organic Artifacts Found In The Desert Of Nazca In Peru

10 Unbelievable Discoveries in Peru  

追記:

Humanoid with Lizard-like Skin Discovered at Site in Nazca, Peruで報じられたミイラは約60cmの小さいものです。

トカゲのような肌を持ったヒューマノイドなど、ペルーでは日本よりもはるかに真剣に研究されています。

2696
Date: 2018-03-04 (Sun)
付加体理論はマジックのような虚妄の理論である
日本列島の生い立ちを読む(斉藤靖二著 岩波書店)を見ると、著者が平朝彦氏のモデルを少しも疑っておられないことが良くわかります。

 ほとんどの研究者がJAMSTEC理事長である平氏の付加体モデルに疑問を感じておられないようなので、[2465]四万十帯の傾斜と年代の関係で述べた「付加体理論の矛盾」を再度展開しておきます。
平氏の「日本列島の誕生」にある表示よりも、斉藤氏の図説の方が丁寧で、とくに「地層の上下」を示す矢印の意味が理解しやすいものになっています。▲、↑は上のほうが新しいという意味です。

以下は斉藤氏の解説文(p.87より)です

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「四万十帯は、なんと何千キロメートルも離れていたものどうしが、混合合体してできた地質体でした。  
こんなことをおこす原因としては、地球表面をおおうプレートの運動以外に考えられません。移動する海洋プレートが、チャートや枕状溶岩を海溝まで運んできたのでしょう。そして、プレートが地球内部に沈み込んでいくときに、一部がはぎ取られ、そこに堆積していた砂泥互層とともに陸側に押し付けられたのでしょう。このようにして陸側に付け加えられるものを、「付加体」といいますが、四万十帯の謎は、それを付加体とみることでみごとに解けてしまったのです。


四万十帯の層序は普通の層序と違っているという平朝彦氏の付加体理論の解説図
[2465]で解説したように誤解がある

北傾斜なのに南のほうの年代が若いといった特殊な地質構造も、平さんのモデルでみると付加体であれば当然のことでした(図12)」

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赤道付近から移動してきたという話は「地殻全体がが移動した(地軸の変化)」ということで説明可能です。
ここでは、矛盾点を二つだけ載せておきます。

・一枚一枚の地層内部では層序が成立するが、全体で見ると古いものが上に載って、層序学が成立しない。そんな入れ替え作業が自然に起きるはずがありません。

・付加体論では地層の傾斜は南上がりになる筈ですが、現地の四万十帯はほとんどが北上がりになっています。

図中にも書いたように一番最後に焼いた外側のバームクーヘンが、店頭ではひっくり返って中心に来ているような話です。魔法でなければ何らかのトリックですが、科学としての合理性のある話ではありません。

実際の「日本列島の生い立ち」は次図のように、列島の中央部で火山活動があり、太平洋側も、日本海側も陸側上がりに“捲れあがった”ということだと思います。


一枚の地層内部でも、全体の地層でも層序が成立している

したがって、四万十帯の一部で見られる南上がり(海側上がり)の地層内部では次図のように下が若く(細かいシルト)なっているはずです。
斉藤氏の図面にある「断層で切られたそれぞれに地層の中では、普通の地層と同じように北方が若い(上が新しい)」という事実はないと思います。

現場([2479]四万十帯は本当に「上が古く、下が新しい地層」なのか?に載っている写真の現場)の事実関係をご存知の方があれば、ご教示ください。
付加体理論は間違いである!
四万十帯の不思議は褶曲現象で90度以上捲れただけのことである



褶曲が90度以上曲がれば、上が古くなりますが、一枚の地層内部でも上が古くなっています。

「絵でわかる日本列島の誕生」には付加体は下ほど新しい、しかし一枚の層内部では上ほど新しい、という解説図が載っていました。そんな地層は存在しません。
こんな地層はあるはずがありません!

付加体理論はデタラメである。

2697
Date: 2018-03-05 (Mon)
“かきとり付加”とか“底付け付加”という妄想理論を捨てよう
[2696]では付加体理論を虚妄の理論だと述べましたが、付加体理論をサポートする概念に「かきとり付加」と「底付け付加」があります。

定説論では日本列島の多くは付加体から出来ているとされていて、NIEDのような国家的研究機関でも採用している考え方です。

先ずは「絵でわかる日本列島の誕生」(堤之恭著)から二つの概念を紹介します。

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「かきとり」と「底付け」

付加体とは、読んで字のごとく「付け加わるもの」です。海にたまった堆積岩および海洋地殻の火成岩がプレート収束境界で上盤側のプレートに「付加する(くっつく)」ことで形成された地質体です。この付加体の「付け加わりかた」には、大きく分けて「かきとり」と「底付け」の2種類があるといわれています(図2.1)。


二つの付加作用

沈み込むプレート上にたまった堆積物は、プレート本体を構成する海洋地殻やマントル上部にくらべると密度が低いため、プレート収束境界で沈み込むことが困難です。そのため、多くが表層に取り残されてしまいます

その結果、プレートが沈み込み始める浅い部分で、上盤側のプレートが、ブルドーザーが土を集めるように沈み込むプレート上の堆積物をかきとってしまいます。この作用をかきとり付加作用と呼びます。しかし、付加体には堆積物だけではなく、海洋地殻上部を構成していた玄武岩などが相当量含まれている場合もあります。これらは堆積物にくらべて比重が重いので、比重が軽いものが残されるとする「かきとり」だけでは説明できません。そこで考えられたのが、底付け付加作用です。

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このように、底付け作用とは潜り込んだプレートが下部から“左官屋”のように、相手側プレートの底部を補修するようなことです。陸地には「かきとり付加」では説明できない重い物質があるので導入された「底付け付加」ですが、「ウソをウソで塗り固めた」という感があります。海山やギョーまでもが潜り込むという話([1491][2454]など参照)もありますが、海底の軽い堆積物と重い玄武岩を誰が見分けているのでしょうか、そんなメカニズムは存在しません。

この御伽噺のような概念が定説になっていて、「日本列島は付加体である」、「地層は上ほど古く、下ほど新しい」という話が、自分の頭で思考する人々を「ほんとかなぁ」と困惑させています。(注:参照)  

NIEDでは、頭から「付加体理論ありき」の姿勢で、次のような「底付け作用を実証した」という報告があります。

NIED の発表から抜粋して紹介します。

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沈み込むプレートの地殻のはがれを発見 〜深部底付け作用を実証〜

1.はじめに

独立行政法人防災科学技術研究所(理事長: 岡田義光)および 東京大学地震研究所(所長: 平田直) は、 防災科学技術研究所の定常地震観測網のデータと反射法構造探査データの解析から、 沈み込むプレートの表面がはがれて日本列島の地殻の底に付加する現象 ― 底付け作用 ― が進行していることを明らかにしました。

深さ10km以上での底付け作用はこれまで間接的に示されていただけですが、 現在進行中の現象として明らかとなったのは初めてのことです。 この発見はプレート境界の新たな変形過程を明らかにしたものであり、 プレート境界地震のメカニズムを理解する上で重要な成果です。
本成果は7月9日に米国科学雑誌 サイエンス誌にオンライン掲載されました。

2.背景

海洋プレートは陸の下に潜り込むときにその最上部がはがれ、 上盤側プレートの底に付加されることが知られています(図1)。


図1.  沈み込み帯深部で進行する底付け作用の模式図。
海底堆積物が浅部で付加する現象がはぎとり付加と呼ばれるのに対し,
沈み込むプレートの最上部がはがれ上盤側プレートの底部に付加される現象は底付け作用と呼ばれています。
地殻の引きはがしは深部ではじめて起こります。

この現象は『底付け作用』と呼ばれ、日本列島の地殻形成に直接的に関与していると考えられています。 海溝付近の浅部での未固結堆積層の底付けは3次元反射法構造探査および深海掘削により明らかにされてきました。 一方、深さ10kmを越える深部での底付けに関しては、 地表に露出した低温高圧変成岩 および深部構造探査により間接的に示されてきただけであり、 現在進行中の深部底付け作用の確実な証拠はなく、また短い時間スケールでの振舞いもよく分かっていませんでした。

3.成果

房総沖の反射法構造探査のデータを解析したところ、相似地震発生域の詳細な構造を明らかにすることが出来ました。 その結果、沈み込むプレート最上部に伊豆小笠原島孤の海底火山より噴出された火山性砕屑物および火山岩からなる層(以後、VCR層とする)が分布し、 このVCR層の下面では地震波速度が大きく変化することが分かりました(図3)。
防災科学技術研究所による1979年から2003年までの房総沖の約2000個の地震の波形データを調べたところ、 VCR層の下面の性質を示す波を見出すことができました。 この波の詳細な解析結果と高精度震源決定結果を組み合わせたところ、 相似地震がVCR層の下面から1.6 km以内に分布することが明らかとなりました(図3)。


図3. 深部反射法構造探査P1およびP2(測線の場所は図2参照)による地下構造断面。
P2は N30E の方向に投影して示しています。赤矢印はプレート境界を示します。
P2には高精度震源分布を重ねて示します。
赤丸は相似地震を, 黒丸は通常の地震を表します。

4.底付け作用の意義

相似地震は現在活動的なプレート境界を表すことから、 相似地震がVCR層の底に分布することはVCR層が現在底付けされていることを示します。 これは日本列島の地殻が成長する現場に相当します。 また、底付け作用の発生場の浅い側では活動的なプレート境界がはがれた物質(VCR層)の上面から下面に移ることが期待されますが、 この場所はスロースリップイベントの発生域に相当します。 房総スロースリップイベントは、平均6年間隔で繰り返し発生することが知られていることから、 底付け作用の進行は間欠的であることが示唆されます。 房総スロースリップイベントは巨大地震に近接することから、 今回の発見はプレート境界地震のメカニズムを理解する上で重要な成果です。

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今の研究体制では「付加体理論」を信奉しないと研究生活が出来ないのかもしれません。それほど、根強く【プレート論+付加体論】の巨頭体制が出来上がっているようです。

プレート論を捨てれば自由に考えられるのですが、“しのぎ”のために一種の『隷従への道』を歩んでいるようにも見えます。

そもそも、何度も言いますが、「固体力学」に重い、軽いを導入することが間違いです。
軽いから「かきとられ」、重いから沈み込んで地殻の内部で左官屋のように「底付けされる」という幼稚な「よた話」は止めにしていただきたいものです。

それには【プレート論+付加体論】を捨てる事です。

日本のルーツを探ろうとする今、
必要なのは地球科学の体系的な廃棄です。
プレート論と付加体論を捨てることです。

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注:

福井自然史博物館サイトより

7.南から移動してきた南条山地(付加体モデルについて)

 私たちが調査してきた南条山地の地質と放散虫化石の特徴は今のところ次のようにまとめることができます。@南条山地の地質は、海に堆積した砂岩・泥岩・チャート・緑色岩・石灰岩から構成される。A大部分の石灰岩は古生代二畳紀の紡錘虫を産す。Bチャートは主として二畳紀や三畳紀の放散虫を産す。C泥岩は中生代ジュラ紀の放散虫化石を産す。D古生代の石灰岩やチャートや緑色岩は泥岩中の礫である。

 以上の事実より次のような解釈が可能です。現在の太平洋を頭に描いてみましょう。古生代二畳紀から三畳紀にかけて、海底火山の活動によって形成された海山(緑色岩)の周囲に形成された石灰岩、そして放散虫や非常に細かい泥が堆積してできたチャートや珪質泥岩が、陸から遠く離れた海洋に生成しました。それらはプレートに乗って移動し、陸に近づくにつれ、陸から運ばれてきた泥がチャートや石灰岩や緑色岩の上に次第に堆積しました。この頃時代はすでに中生代ジュラ紀(大陸には恐竜がいた時代です)であり、当時の海に生息していた放散虫の死骸が泥岩に取り込まれました。 

 さらに大陸の端にくるとプレートのもぐり込みが起こり、その上に乗っていたチャートや石灰岩や緑色岩は、はぎ取られたりあるいは海底地滑りにより、切れ切れになって陸からの砂や泥と混ざったり、何回も折り畳まれたりして陸側に付加して南条山地が形成された…というシナリオです。海洋プレートに乗って移動してきた堆積物が沈み込み帯で底付けされ、陸域が成長していったという仮説を「付加体モデル」といいます。

 実際、第三の研究成果として揚げた古地磁気の研究によれば、南条山地に分布する緑色岩は2億数千万年前には赤道付近にあったということがわかっています。それがプレートに乗って北上し、アジア大陸の東端に衝突し横ずれを起こしたという考えです。そのときの痕跡が現在の吉野瀬川付近だと思われます。
 吉野瀬川は武生市丸岡−沓掛−勝蓮花を東進し武生の平野に注いでいます。この河川の南側(南条山地)と北側とでは中生代白亜紀以前(約6500万年以前)の地質が大きく異なっています。すなわち吉野瀬川以南には大陸性の基盤岩は分布せず、放散虫化石を産する海洋性の中生代の地層が分布し、一方、北側には恐竜や植物化石を産する手取層など大陸棚(陸の一部である)や湖に堆積した大陸性の中生代の地層が分布します。

8. 南条山地は日本列島のおいたちを解く鍵!  

付加体モデルを用いた解釈は、南条山地と同じような中生代の地層が分布する地域(かつては古生層と信じられていました)ではしばしば主張されています。しかし、新しい野外事実が判明してくれば、このモデルも修正されることでしょう。今私たちが注目しているのは、放散虫化石を産しないチャートです。放散虫化石を産するチャートは確かに遠洋性のチャートかもしれません。しかし、放散虫を産しないチャートの起源に関しては今も解明されてはいません。

 堆積後チャートに変わっている砂岩・泥岩層が、今庄町藤倉山の林道沿いで発見されました。砂岩や泥岩などの堆積岩がそっくりチャートに置換される現象は本邦では初めての報告です。砂岩や泥岩が、ある条件下で簡単にチャートに変わるとすると、放散虫化石を含まないチャートの中には砂岩や泥岩起源のものがあるかもしれません。するとチャートのすべてが遠洋性であるとは断定できなくなり、遠洋からプレートに乗って云々…というモデルは単純すぎることになります。幸い南条山地には放散虫を産するチャートと産しないチャートの両方が分布し、同山地はこのような疑問を解決するための良好なフィールドです。

 また、付加体モデルでは、その形成過程上、下方に積み重なっている地層ほど新しい時代のものであるはずですが、南条山地では、ジュラ紀中頃の地層の下位にはジュラ紀はじめに堆積した地層が分布しています。この事実は付加体モデルに反することになります。南条山地では何が起こったのでしょう。近い将来、福井県南条山地から日本列島のおいたちを説明できる新しいモデルが生まれるかもしれません。

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放散虫を産するのはその場が熱帯地域にあったことを示し、放散虫を産しないのは、極地域のような寒帯に移動した時代があることを意味しています。地殻が移動(地軸の変化)したことが原因だと思われます。

放散虫を産しない地層の話は丹波帯や中国朝天地区でも報告があり、以下に紹介してあります。

[2517]放散虫のサイズは海洋環境によって変化し、存在しない次期もある

[2599]放散虫を産しないチャートの形成理由

2698
Date: 2018-03-06 (Tue)
『四万十帯の最初の謎』を再度検討する
平氏が「四万十帯の最初の謎」と呼んでいる事象について再度検討してみました。

その理由は、[2696]に紹介した斉藤氏の著書にもある「北傾斜なのに南のほうの年代が若いといった特殊な地質構造」という文意が良く理解できていなかったからです。何故特殊なのでしょうか。

 このセミナーの解説では、四万十帯の一部に見られる南上がりの地層([2696])の写真にある現場など)から判断して、「謎扱い」されているのかと思って「それは90度以上曲がった褶曲である」という解説をしてきました。しかし、両氏とも全体に北上がりであると認識した上で「謎解き」が必要な「特殊地質構造」だとされているようです。 その一節を、「日本列島の誕生」(p.49)から抜粋して紹介します。

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図2-3 約70度傾斜した地層(北上がり)

一方、地質構造をみると、四万十帯を構成するタービダイト層(図2・3)は、堆積時には水平な地層でしたが、現在は六〇度以上の急角度で、おおむね北側に傾斜しています(図2-1の断面図参照)。

四万十帯の構造、北側に古い地層がある
これが何故不思議なのだろうか?
南上がりに違いないという先入観か?

 これらの地層には、堆積当時の流れによってできた斜交葉理や渦流によってできた底痕などの構造や生物のはい跡(生痕化石)などが残っていて、地層の堆積時の上下を判定することができます。その結果、四万十帯の大部分は北側に傾斜して、北側に上位です。そうしますと、一見、北のほうに若い年代の地層が積み重なっているように思われるのです。ところが、放散虫の化石のデータは、四万十帯の砂泥互層は北傾斜で北側が上位なのにもかかわらず、大きくみると、南側のほうに新しい地層が分布していることを示しています。  これが、まず四万十帯の最初の謎として浮かび上がってきました。

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図2−1を見ると、北側に古い地層、南側に新しい地層が存在していて、私には何の不思議でもありません。日本列島の中央部での火山活動により吹き上がったと解釈すれば何の問題もありません。 たとえば瀬戸内海が巨大なカルデラ湖の痕跡で、日本海側も太平洋側も「陸側上がり」に傾斜したのかもしれません。

 南傾斜ならば「北側が上位」の意味は北側に新しい地盤があることになりますが、北傾斜を認識した上で「北側上位」を理由にして「北に新しい地盤がないのは謎」とするのは理解できません。

 それとも、頭から付加体は南傾斜に違いないと信じ込んだ結果でしょうか。(コンクリート片を活断層と誤解した教授のように)

 私の考えていることがピントハズレなのでしょうか、どなたか解説できる方があれば下記へお願いします。「北側傾斜の北上位」とはどんなことでしょうか。宜しくお願いします。
isshy7@kfz.biglobe.ne.jp

私には四万十帯は普通の地層に見えてしまいます。

追記:「北側上位」の意味

『日本列島の誕生』p.49 にある図2−1の「断面図」というものが、下図のような意味なら、あきらかに「付加体論」を前提(南上がり)にした立論ですので、「北側上位」に意味がありません。

 地震学者に公開質問状を送ったのも同じような性質の矛盾で、「結論が前提の中に含まれている([1474]参照)ので、証明にはならない」という石本博士の主張に通じるものです。

石本博士流に言えば「付加体説を支持する立場の人は先ず付加体説に沿った地層を前提にして議論を進めている」ということになります。

とにかく、次図のような付加体の概念([2465]参照)が間違っているのです。単なるSFであり、科学的な根拠がないのです。


こんな地層はありえない。        付加体論はSFに過ぎず、何の科学的根拠も無い。

2699
Date: 2018-03-07 (Wed)
『マントル熔融・地殻滑動説』を採用し、地球科学の体系的廃棄を進めよう
地球史を正しく理解するのには、プレートテクトニクス理論を捨てて、クラストテクトニクス理論に切り替えるべきである、と何度も提案してきました。当然プレート論を基礎にしている付加体論も含んだ体系的な廃棄処分を意味します。

クラストテクトニクスに関しては[2252][2436][2452][2475]などで言及していますが、日本語訳では「地殻構造論」というようなもので内容が明確に伝わりません。

 一番重要な変革内容はアインシュタインが延べた「最も重要な概念」である地殻の滑動のことです。したがって標題のように『マントル熔融・地殻滑動説』として新ためて提案したいと思います。

『マントル熔融・地殻滑動説』を採用し、
地球科学の大系的廃棄を断行しよう!

  これは別の言い方をすれば、[2439]第2地動説のすすめ、第2ルネッサンスを推進しようで述べた第2地動説のことでもあります。

 ところで、人間の社会は偉い人が言い出した説をなかなか変えることが出来ません。
 たとえば、付加体論を主張する平氏は著書「日本列島の誕生」のあとがきで次のように述べています。


「日本列島の誕生」の著者である
付加体論の権威者平朝彦氏

「この本で述べたいくつかのことについては、早晩書き改めなければならなくなったり、あるいは確証が得られたりするに違いありません。しかし日本列島が付加作用ででき上がったとする考えは、不動のものであり、付加のプロセスについては、さらに詳しく検証されていくでしょう」

JAMSTECの理事長に「不動の理論である」と言われたら傘下の研究者でこれに逆らえる人はいないと思います。生活ができなくなるでしょう。

また、竹内均先生とともにプレート論の伝道者である上田誠也氏は次のように「プレートテクトニクスは不動である」と述べています。


「プレートテクトニクス理論の伝道者」上田誠也氏

「中学・高校でもプレートテクトニクスをうんと教えるとよい。世界の学問はどんどん進んでいて、プレートテクトニクスの限界は日に日に明らかになりつつあり、次への改革・脱皮がおこる日は遠くないだろう。しかし、それはプレートテクトニクスからの発展なのであって、いつまでもプレートテクトニクスは仮説か、理論か。仮説なら教えない方がいいかもなどといっていては遂にどうにもならないことになる。([1182]

改革・脱皮はプレート論の延長上にあるという認識であり、廃棄が必要であることが理解されていません。改革ではなく体系的廃棄による新生でなければなりません。

さらにこうした「既成の権威者」の威圧的言説が自由闊達な意見交換を阻んでいる空気を感じます。活断層理論の第一人者である島崎邦彦氏は「活断層論は不動である」と言わんばかりに次のように語っています。


「活断層地震論」の権威者島崎邦彦氏

「科学的な判断のみが重要なのでありまして、再稼働とかエネルギー、経済的、社会的なことを一切排除して判断してください。科学的でない判断をした場合は糾弾されることがあります」([1954])。

私には「活断層は間違っている」と述べれば熾烈な糾弾が待っているような威圧を感じます。

かように、斯界の第一人者の発言は「自由闊達な意見交換」を妨げる効果があって体系的な廃棄を断行することは容易ではありません。

しかしそれを断行しなければ、地球科学の発展も無ければ『日本のルーツ探し』も進みません。

大志ある方々の応援に頼るしかないと思いますので、拡散、援護射撃をお願いしたいと思っております。

2700
Date: 2018-03-09 (Fri)
韓半島の統一で北の核は日本に向かう
北朝鮮の軟化は安倍・トランプ強硬路線の成果だ」と評論家の八幡氏が述べていますが、甘い読みだと思います。軟化は見せかけにすぎません。

八幡和郎氏

金正恩は韓国に左傾大統領が生まれてラッキーだと思っていますし、韓国にも日本にも、工作員を送り込んでいることを認めています。文大統領は金正恩に、騙されるでしょう。

先ずは八幡氏の意見を紹介し、「文・金」両氏の守護霊霊言を少し紹介します。二人の本音を知っておくべきです。
日本にとって重要な問題ですので、載せておきます。

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北朝鮮の軟化は安倍・トランプ強硬路線の成果だ --- 八幡 和郎
3/8(木) 17:16配信 アゴラ

南北首脳会談そのものに前向きの意味があるかないかは、結果次第である。これまでの金大中や盧武鉉の南北交流は、それが結果的には北朝鮮の本格核武装という今日の結果をもたらしたのだからマイナスだったというしかない。

ともかく、問題は北の核戦力の放棄へ向かって結果を出すことであって、そうでない限りは開発の時間を与えるだけマイナスでしかない。前向きの反応などというものは無価値である。

しかし、今回の南北首脳会談で、北朝鮮側が

(1)4月からの韓米軍事演習実施に理解を示し、

(2)「対話中は核実験・弾道ミサイル発射を再開せず」といい、

(3)米朝対話で「非核化議論可能」といったことは、

とりあえず、上出来だったとはいえる。

これは、別に文在寅が金与正を歓待したからではなく、安倍・トランプが強硬にそれでなければ対話もしないと頑張りきり、文在寅もそう言わざるを得なかったというだけのことだ。

これからも、南北の対話が実り多いものになり、平和に貢献するとすれば、それは、断固たる姿勢で文在寅に弱腰になりようがないようにするしかない。この対話に失敗したら、また、これまでのように駄々っ子ぶりを発揮したら軍事力の行使は不可避だと金正恩が意識すれば良い結果が出るだろう。

それに、安倍首相ほど断固とした方針をつらぬきアメリカに影響力を及ぼせない政権に交代する可能性は期待できないと彼らが認識するかどうかも大事なことだ。

森友の財務省の木っ端役人が少し文書に手を加えたかどうかで総辞職だとか騒ぐことは、平和への冒涜、核なき世界への挑戦でしかない。

また、制裁の解除は話し合いのテーブルに着くことではいかなる緩和もないという原則も大事なことだ。非核化へ具体的行動が示されるまでは、ひたすらに強化するべきだ。

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文大統領は南北統一を図って、自分が「核のボタン」を操作し、日本に対処するという妄想を持っています。金正恩はトランプ氏の退陣するまでは時間を稼いで「融和路線」を見せかけるが、核の放棄などまったく考えていません。文大統領を手玉にとって、自分が統一のリーダーになるつもりです。金正恩による南北統一は日本にとって大きな危機を迎えます。
両守護霊の霊言をリバティーが報じています。霊人はウソを言う事もありますが、大筋では本音を聞き出せます。

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【速報】韓国の文大統領と北朝鮮の金委員長が守護霊霊言で語った本心 日本はどうする?

公開霊言 「文在寅守護霊vs.金正恩守護霊」
2018年3月8日 収録

文大統領は核放棄を望んでいない

南北の「雪解けモード」を演出する文大統領と、韓国に対して融和的な姿勢を見せる金委員長の本心はどこにあるのか。大川隆法・幸福の科学総裁は8日、文大統領と金委員長の霊を呼び出し、両者の霊言を続けて収録した。

韓国と北朝鮮が関係を改善することで、日本を含む国際社会が韓国に期待しているのは「北朝鮮の核放棄」に向けた交渉だ。

しかし、文大統領の守護霊は北朝鮮の核放棄について、「韓国に向けなきゃそれでいいわけよ」「韓国には絶対に撃たないって約束取り付けることができればさあ、日本に撃ち込まれたとか、知ったことかそんなの」と語った。こうした発言からは、文氏が、本心では北の核放棄を望んでいるわけではないことが分かる。


二人とも核の放棄を考えてはいない。
共通のターゲットは日本です。

また文氏の守護霊は、韓国主導の南北統一の方法や、在韓米軍への本心、北朝鮮を建国した金日成に関する思いなどについてさまざまに語った。 買収にかかる莫大な費用については、「日本は金出す以外に機能ないから」と述べるなどして、日本に支払わせる考えを示した。

金正恩も核を手放すつもりはない

一方、金委員長の守護霊は核兵器について、「もう何十年もかけて開発してきたもんだから捨てるわけないじゃない」などと述べ、核の放棄はまったく考えていないことが明らかになった。

金氏の守護霊の発言からは、4月末に板門店で南北首脳会談を行うことへの合意は、平和的な南北統一のプロセスにはなりえないことが理解できる。
それならなぜ今、北朝鮮は韓国と対話を進めるのか。その外交的狙いについても、本霊言では語られている。

世間では、平昌オリンピックから始まった南北対話ムードや首脳会談の実現などについて、文大統領の「外交的勝利」と見る向きもある。しかし、文大統領、金委員長の本心が明かされた本霊言では、現在の延長線上では、非核化は実現されないことがよくわかる

日本の平和を守るための決断

南北の対話を促進しても朝鮮半島から核の脅威がなくならない以上、日本は自国の防衛体制を本格的に強化することが必要になる。具体的には、核兵器保有を視野に入れた戦略的な国防政策が必要だ。

しかし、南北の雪解けムードが盛んに報じられる中、2020年に東京で「平和の祭典」であるオリンピックを迎える日本では、国防体制を整えるのが難しいのが現実だ。そうした状況下で、とはいえ、日本の核装備はすぐには実現できない。現状で、世界の安全を脅かす北朝鮮の核兵器問題を解決するためには、アメリカによる軍事攻撃という方法が最も有効になる。

大川総裁は両氏の霊言終了後、今後の見通しを語り、「最終的にはやっぱり北朝鮮は滅びると思います」と述べて締めくくった。

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トランプさんはそれほど、能天気に金正恩の「たくらみ」を見誤るようなことは無いと思いますが、日本は「自分の国は自分で守る」気概をもっていないと大変なことになると思います。

[2106][2429]などで提案したような「防人国債」を発行して、国を守る手立てを講じる必要があると思います。

統一されたら、いよいよ北の核は日本に向けられます。

追記:

AFPは次のように伝えています。
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金正恩氏、文氏は「睡眠妨害されずに済む」 ミサイル発射自粛で
3/9(金) 20:46配信

韓国の特使団と会談した金氏はこれについて、今後は文氏の睡眠を妨げないと誓ったという。

 南北は、両首脳間の直通電話(ホットライン)設置でも合意。これを受けて金氏は「実務者の対話で事がうまく運ばず、彼らが横柄に振る舞うようなことがあれば、これからは文大統領と私が直接電話で話し、物事を容易に解決することができる」と述べ、南北双方の関係者らの間に笑いが起こったという。

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これを読んでロブサン・ランパの「第三の眼」を思いだしました。
中国の支配下になる前のチベットで、中国使節団を物陰から「第三の眼」で見て、どんな色合いの「霊気」が出ているか観察するように命じられた少年ロブサンのことをです。 ロブサンの眼には「怪しげな赤紫の妖気」が見えたのですが、両首脳の会談は双方からどす黒い妖気が発射されているのではないでしょうか。

2701
Date: 2018-03-10 (Sat)
ロブサン・ランパが「第三の眼」で見た世界観にも謎解きのヒントがある
「第三の眼」が開いたロブサンの不思議な体験(幽体離脱?)は自分も巨人族であった過去があり、そのころのチベットは海に面した暖かい土地だったことを教えています。

チベットを去って西洋社会で生活するまでの話しが綴ってありますが、地球科学的に興味深い箇所を抜粋して紹介します。(「第三の眼」16 最後の奥儀より)

 地球史の謎を解くヒントがあるはずです。

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小さな死の儀式

 その後、私はいろいろな僧院で、このミイラ作りを五、六回も見たが、ある日、私はチャクポリを預かる僧院長に呼ばれた。
「聖王(ダライラマ13世のこと)じきじきのご命令で君は大僧正に任命されることになっている。」

 それから少しのち、一人の年老いたラマが私の部屋にきて、いまや“小さな死の儀式”を経験すべきときだと語った。
「なぜならば、わが息子よ、お前が死の門をくぐり、そこからまた戻ってくるまでほ、“死はない”ということをほんとうには理解できないからだ。空中旅行によってお前は広く知識を学んだ。だがこんどは、現世のワクを越え、われわれの国の太古の時代についてももっと多くのことを学ぶだろう。」

準備訓練はつらく、また長かった。
ついに、三ヵ月後、星占師が前兆は吉であり、いよいよそのときがきたと告げた。お寺の太鼓のように、お腹が空っぽになるまで二十四時間断食した。それから秘密の階段と通路を通ってポタラのはるか下へと導かれた。みんな手にタイマツを持ってどんどん下っていったが、私だけはなにも持たなかった。前に私がわたったことのある廊下を通りぬけた。とうとう通路のどんづまりに達した。頑丈な岩がその行手には立ちふさがっていた。しかし近づくと岩はそっくり横に動いて、別の通路が現われた―よどんだ空気と、さまざまの香料のにおいに満ちた、暗い、狭い通路だった。さらに数メートル進んで重々しい黄金張りの扉のところで私たちはちょっととまった。扉は、反抗でもするように、ギーッと音をたてて徐々に開き、そのコダマが広い場所を通るかのようにあちこちからかえってきた。ここでタイマツは消され、バター・ランプが灯された。

 私たちは隠された寺の中に進んだが、それは遠い昔、火山の活動によってできた堅い岩に彫りこまれたものだった。これらの廊下も通路も、かつては噴火口から流れる溶岩が通じていたのだった。それをいまはちっぽけな人間どもが、その道を踏みしめて、自分らが神々であると思うのだ。だがいまは、そんなことより、手さぐりにけんめいに進まねばならなかった。


ラサにあるポタラ宮殿、太古の時代の火山の跡に建っている。
地下には火道跡のトンネルが深くまで伸びているらしい。

こんどこそまちがいなく岩にぶつかったと思ったところまで進んだ。とたんに先頭の大僧正が消えた。―私が黒い影だとばかり思っていたのは、じつはうまく隠された扉だったのだ。ここに下へ下へと通ずる通路の入口があった。狭い、こもった、くねくね曲がった通路で・・・・あるいは地球の心臓部に突き進んでいるような感じだった。
 曲がりくねった通路の最後の曲がり角に一つの洞穴が口をあけており、岩は金でピカピカ光っていた。金の鉱脈と―金の塊りだった。岩の層、金の層、岩の層―というぐあいに重なっていた。高い、ひじょうに高いところで金は闇夜の星のように輝き、その鋭いつぶつぶはランプの発するかすかな光を捕えてはキラキラ反射していた。

 太古の巨人の遺体にはさまれて

 洞穴の中央には、黒光りのする一軒の家が建っていた―あたかも黒檀で作られたような家が。不可思議な記号がその外側には書かれてあったが、これと同じような図形を私は洞穴の奥の湖水への通路の壁で見たことがあった。私たちはその家へと歩みより、広い高い入口から中にはいった。

そして、なかのものをみたとたん、息がつまり、突然、気が遠くなるように感じた。

「わが息子よ。」―先頭の大僧正が叫んだ。―

「これらを見なさい。これらはまだ山々ができる前の、太古のわが国の神々だったのだ。彼らは海がわれわれの岸辺を洗い、いまとはちがった星が空に輝いていたころ、われわれの国を歩いておられたのだ。見るのだ・・奥儀をさずかるもの以外にはかつてたれも見たことはないのだから。」  

 私は見なおし、魔に魅入られたように畏怖の念に打たれた。三つの黄金の体が、全裸のまま、目の前に横たわっていた。二人は男で、一人は女だった。すべての輪郭、すべての特徴が黄金で忠実に再現されていた。しかし、その大きさといったら! 女性はその横になった長さが三メートルはたっぶりあったし、それより大きい二人の男の方は五メートルをくだらなかった。頭は大きく、そして先の方がいくらかとがっていた。アゴは狭く、口は小さく、口唇は薄かった。鼻は長く薄く、一方、目は正しくならび、深く落ちくぼんでいた。死んでいる姿ではなかった、眠っているように思えた。
 私たちは、まるで、その目をさますのを恐れるかのようにコッソリ動きヒソヒソ話した。私は片隅に棺のフタを見つけた。そのうえには天体図が彫られてあった― しかし、その星々はなんと見なれないもののように思われたことか―。私は占星学を勉強したから夜空にはきわめて精通していた。
しかし、これは、それとはまったく似ても似つかなかった。
 先任の大僧正がふり向き、つぎのように言った。

「お前は過去を見、未来を知ることによって奥儀を許されたものの一人になろうとしている。その労苦はなみたいていのものではないのだ。多くのものがそのために死に、また多くのものが失敗したが、しかも合格しないかぎり、たれ一人ここを生きて去ることはできないのだ。どうだ?覚悟のほどはよいか?
 私は、「やります。」 と答えた。彼らは私を二つの棺の間に横たわっている平らの石のところへ連れて行った。この上に、私は彼らの指図で、両足を組みあわせ、背筋を正し、そして両手のたなごころを合わせて、蓮華座の姿勢ですわった。

 それぞれの棺と私の石板とに四本の線香がともされた。三人の大僧正はバター・ランプをとると出て行った。重い黒い扉が閉まるとともに、私は大昔に死んだものの遺体といっしょにとり残された。
石のうえでの瞑想のうちに時は過ぎて行った。私が持ち込んだバター・ランプは、パチパチ音を立てると消えていった。少しのあいだ、そのシンが赤くいぶり、そして焦げる布の臭いがしたが、やがてそれすらもかすかになってかき消えた。
私は石板のうえに背を下にして横になり、多年、教えこまれてきた特別の調息津をおこなった。静寂と闇がおおいかぶさっていた。それはほんとうに墓場の静寂だった。

 まったく突然、私の体は突っばり、硬直症におちいった。私の四肢はしびれ、そして氷のように冷たくなった。私ほ死んで行くんではないかという恐怖に襲われた。――陽の光の下百五十メートル以上もの古代の墳墓のなかで、死につつあるという恐怖に――。ブルブルッとはげしいケイレンが起こり、そして古い革をひろげるようなガサゴソという奇妙な音が、ほんのかすかにしたような気がした。徐々に墳墓は、高い山路にかかる月光のような、青ざめた光に満たされてきた。私はユラユラゆれ、持ち上げられ、また下げられるように感じた。一瞬私は、も一度タコに乗って綱の先端で上下左右に激しくゆられているのではないかと思えた。(注釈:人が乗る凧を経験している。)  

 気がつくと、私はただ肉体の上を浮動していたにすぎなかった。意識していても動きはやってきた。
一吹きの煙と同じく、感じられない風にのせられたかのように私はただよった。私の頭上に、私は金の円板のような輝きを見た。私のまん中へと白銀色の紐がぶらさがっていた。それは生命を脈打ち、生気に輝いていた。

 私は、いまや死体のなかにとりかこまれ、死体のように静止している、寝ころんだ私の体を見おろした。私の体とこれら巨人のそれとの間のわずかなちがいが少しずつわかってきて、そのせんさくに気をうばわれた。私は今日の人類のあわれむべきうぬぼれについて考え、また唯物論者がこれらの巨大な人体をまのあたり見たらなんと説明するだろうと思った。私が思うには・・・・しかし、そのときなにものかが私の思考をさまたげるのに気がついた。それは、ここにいるのはもはや私一人ではない、ということのように思われた。会話の一コマや、口には出さない考えの断片が私のところに届いてきた。バラバラな絵が私の心の目の前を横切って明滅しはじめた。はるか遠くでなにものかが大きな、深い音のする鈴を鳴らしているように思われた。それはえらい勢いでどんどん近づき、とうとう私の頭の中で爆発したようれに思われた。そして、私は色のついた光の小滴と得体の知れぬ叫びの閃光とを見た。私の霊体はこがらしに舞う枯葉のようにゆられ飛ばされた。赤く、焼けつくような痛みの斑点が私の意識に打ち当たり、その中を走り過ぎて行った。私は孤独で、捨てられ、ゆらめく宇宙のなかの浮浪者であると感じた。黒い霧が私の上に襲いかかり、それと同時に、この世のものとは思われぬ静寂がやってきた。

チベットは昔、海岸にあった

私を包んでいた真っ黒いものは、しだいに動いて行った。どこからか海のどうどうという音と波打ちぎわの砂利のザラザラいう音が聞こえてきた。私は潮風と、海草のぷんと鼻をつく香をかぐことができた。それはよくある光景だが、私は太陽で暖められた砂の上にごろりと寝ころんで、シュロの木を見あげていた。だがしかし、他のもう一人の私が言った―お前は海を見たこともないし、シュロの木なん聞いたこともないじゃあないか、と。ごく近くの茂みから、笑いさざめく声が聞こえてきて、その声は、日焼けした人びとの楽しそうな一団が現われたときにひときわ高まった巨人たちだ!彼らの全部が私を見おろした。そして、私もまた巨人≠ナあったのを知った

 私の霊体の頭脳はつぎのように考えた。―数えられない年月の昔、地球は太陽のもっと近くを回転していた!いまとは逆の方向に。毎日は今よりも短くまた暖かだった。文明は広く起こり、人びとは今日以上に多くのことを知っていた。他の空間からさ迷える惑星がやってきて、アッというまに地球にぶつかった。地球はよろめき、その軌道をはずれて反対の方向にめぐり出した。大風が巻きおこり、水をたたきつけたが、ちがった重力に引っばられた水は陸地をおおって洪水が、世界的な大洪水が起こった。世界じゅうを地震がゆさぶった。ある陸地は海の下に沈み、別の陸地は隆起した。暖かい楽しい土地であったチベットは海浜の遊び場から一変して、海上約四千メートルの高みに突き出た。周囲一帯には巨大な山々が、くすぶる熔岩を吐き出しながら出現した。はるか遠くの高原にはその表面に亀裂が生じ、太古の動植物は繁栄をつづけた。

 少したって私は幻影が薄れ暗くなってゆくのを感じた。徐々に私の意識は、霊的にもまた肉体的にも、私から去って行った。しばらくして私は不愉快な寒さで正気づいた。 − 凍る暗闇の洞穴内で、石の板に横たわっていた寒さだ。「そうだ、もどってきたのだ。近づいたのだ!」と思考の指先が私の脳裏をさぐった。
 数分間が過ぎた。そして、一つのかすかな光が近づいて来た。バター・ランプ。三人の年老いた大僧正。

「よくぞやった、わが息子よ。三日間、お前はここに横たわっていたのだ。いまこそ悟ったろう、死んで、そして生きたということを。」
 私はよじのぼるように、やっとのことで足で立ったが、衰弱と飢えでよろめいた。生涯忘れられない部屋から出て、他の通路の冷たい、冷たい空気へとのぼって行った。私は飢えで衰弱し、私が見、かつ経験したすべてのために打ちひしがれていた。私は腹いっぱい飲み食いし、そして、その夜、私が眠りに落ちているときに、まもなく私はチベットを去ることになり、そして、前に話したように、見知らぬよその国々に行くことを知った。しかし、いまとなって私は、それらが、想像し得ていたよりも、いっそう見知らぬものであったし、また、いまでも未知である、ということができる!

 「チベットよ、さよなら!」

 それから数日後、私は宝石の園に参上するようにとの親書を、ダライ・ラマから受け取った。
私が一人でダライ・ラマに謁見するとつぎのように言われた。
「別離のとき、新たな人生の門出のとき、それはつねにつらくまた悲哀に満ちたものなのだ。お前の行路はただひとすじだ。ロブサン。そして、それは何人にとっても容易な道ではない。家族、友人、祖国―すべてを後に残さねばならない。行く手には、お前が聞いている通り、艱難、拷問、誤解、不信―そうした不快のすべてが待ちかまえている。それがお前のあゆむべき道なのだ。この世に生まれ出る前に、お前が選んだ道なのだ。私は、五日めの終わりに、お前が中国に向け出発できるよう手配しておいた。」

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[2475]にはチベットが海だった頃のツァイダム盆地の話を紹介してあります。2億5千万年前のことで、海辺に巨人族がいたなんて話は学者からは拒否されてしまいます。 しかし、話を裏付けるかのように、中国の青海湖は塩水湖で、その近くには4メートルの厚さの塩の層がある「チャカ塩湖」という湖もあります。


中国ツァイダム盆地にあるチャカ塩湖(4mもの塩の層がある)

現代の地球科学は2億年前に人類がいたことも、巨人族がいたことも認めていません。地球の歴史をプレート論とか付加体論という稚拙な概念を操って解こうとしています。 チベットが海辺から高地に変化した正しい理由を知りません。
 斉一論では説明できない劇的な変化が起きたはずです。また説明できないために巨人族の化石を見ても、宇宙人の化石を見ても、「オーパーツ扱い」してしまいます。

ロブサンが幽体離脱(?)で見た「別の重力に左右された大量の水」、つまり「他の天体の水」が衝突して「地球が増水」し、海水位が一挙に増えた、という事件が「大陸棚形成」の原因かもしれません。「現代とは星座の配置がまったく違っている」、という件も現代の地球科学では説明できません。

現代人は謙虚にいろんな方面からの情報を学ぶべきではないでしょうか。 世界各地で発掘されている巨人族の人骨を「イタズラ」「捏造」として無視するのではなく、納得のできる説明をするべきです。 なお、ロブサンが見た「巨人の遺骨」の話は「神秘学大全」(p.161)にも紹介されています。現在と違う星座の話もヒマラヤの麓のポヒスタンという洞窟から同様の天球図が見つかったことが紹介されています。

2702 
Date: 2018-03-11 (Sun)
チベット高原に超古代の巨人種による文明があったのか?
ツァイダム(チャーダム)盆地にはチャルハンという名前の中国最大の塩湖もあるということで、調べてみたらこの付近からは「鉄製パイプ」などいくつかの“オーパーツ”も発見されていることを知りました。

 ロブサンが見た巨人種の光景(?)は意外と真実性のある超古代文明なのかもしれません。
先ずはチャルハン塩湖を紹介します。

「中国西北部の青海高原に位置するツァイダム盆地の中央部にチャルハン塩湖がある。それは面積千六百五十平方キロにおよぶ巨大な塩の倉庫ともいえるものである。このあたりは乾燥地帯であるため、蒸発量が多い。したがって湖水の塩分は濃くなり、日がたつにつれて堅い塩の層ができる。それにくわえて、砂あらしにおそわれるから、いまでは湖とは名のみで、砂漠のようだ。この湖面の下、一メートルたらずのところには塩水がある。」

とあるように、実際には湖面はいくつかに分散し、所によっては砂漠のようになっているそうです。青海湖の西方にあり、ゴルムドと都蘭県に跨っているとあります。


ロブサンが霊視(?)したようにチベットは昔海辺にあったのか?


宇宙から見たチャルハン塩湖、砂漠化してしまっている場所もある

さて、オーパーツの件ですが以下に二つのサイトを紹介します。

@ 奇妙な出来事
2017年02月05日

中国で発見!オーパーツ

中国・青海省のツァイダム盆地は、西域へと通じるシルクロードの南に広がる乾燥した高原地帯です。南部には中国最大のチャルハン塩湖をはじめとした大小の塩湖が点在し、今では無機塩類などの鉱物資源の豊富な供給地となっているそうですが、その近郊にある白公山というところで、奇妙なものが見つかりました。

その場所は恐竜の化石も出るところで化石を発掘していた調査団が、山腹の洞窟や塩湖の周辺で多数の鉄パイプのようなものを見つけたそうです。正確的には2002年頃から出ていたものらしいですが、当時は気にも留めていなかったらしく、最近になって関心が持たれるようになりました。

そのオーパーツは鉄パイプのようなもので、太さ数センチの細いものもありますが、たいていは直径50センチほどの太い鉄パイプだそうです。


古代の鉄パイプ

その特異な形状は自然の物とは考えにくいらしく、もし、作られたものであれば15万年前のものとみられるそうです。
この地に人が定住したのは約3万年前で、人類が鉄の精錬を覚えたのはほんの数千年前のことを考えるとそこには先進文明があったのではないでしょうか。

 ちなみに、ルーマニアでも1974年に、地面を掘っていた労働者たちが10メートル以上の深さに埋まっていた化石群の横に、加工されたような大きな金属を発見したそうです。分析の結果、金属塊はアルミニウム製であることが判明したそうで、正確には90%がアルミだそうで、年代測定などの分析の結果25万年前のものらしいです。しかも、この謎の物体は1973年に発見されていて長年の間、機密とされてきたものらしいです。

こうしたオーパーツは他の国でも発見されていますが、なかには偽造のものも沢山あるらしいです。まあ、それだけ判定が難しいのでしょう。個人的にはもっと歴史がひっくり返るぐらいのオーパーツが出てきてほしいものです。

A オーパーツ・湖畔のピラミッドから15万年前の鉄パイプが見つかる

中国北西部の青海湖の近くで、洞窟の中から古代の鉄パイプが発見されました。
研究者は、パイプが発見された岩山からはピラミッド構造が発見されたと言います。

これらの不思議な発見に科学者たちは困惑しています。
鉄パイプが岩に食い込んでいる


古代の鉄パイプが岩に食い込んでいる

青海湖はユタ州のグレートソルトレイクに次いで地球で二番目に大きな内陸塩湖です。

この周辺の岩山の洞窟からは、写真のような鉄パイプがいくつも見つかっています。

洞窟入り口から奥に向かって直径40センチほどのものから、爪楊枝ほどの大きさのものまで様々な直径の鉄パイプが伸びているということです。

この鉄パイプを調べた北京の地質研究所によると、30%が酸化鉄で構成されており、残りは二酸化ケイ素と酸化カルシウムで、8%ほどの物質が計測不能だったとのことです。

これは確かに鉄で出来たものが、かなり長い年月を経て酸化した結果だと考えられるようで、熱ルミネッセンス年代測定で少なくとも15万年が経過しているという鑑定結果が発表されています。

超古代文明の遺物なのか?

ピラミッドと言えばエジプトだと思いがちですが、実は中国にも数多くのピラミッドがあります。 最古の物が青海湖ともほど近い内蒙古自治区にあり、年代は紀元前4700から2900年だと考えられています。

ですから中国にピラミッドがあることはそこまで不思議なことではありません。

科学的な検証としては、岩が形成される最中に取り込まれて化石化した木や木の根ではないかという説や、岩の割れ目を通ったマグマが鉄パイプ状に固まったのではないかという説があります。しかしそのどちらも完全に説明できるものではありません。

15万年前と言えば、人類はまだアフリカにわずかに存在していただけです。しかし中国には北京原人がいたわけですから、ホモ属の親戚がこの辺りにいたことも考えられます。

チベットの古文書にはかつてこの辺りに巨人(種)の国があったという伝承が伝わっています。だとすると、巨人の文明が残したものなのかもしれません。

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ちなみに、アフリカに誕生したガーナ文明は巨人種による文明であったと「太陽の法」に載っています。少し紹介します。

「人類四億年の歴史のなかには、川を流れるあぶくのごとく、数かぎりない文明が生まれ、かつ消えていきました。そのすべてを語ることは、現代人にとっては、不要でしょう。とりあえず、私たちにとって必要なことは、現在および、未来社会を考えるための材料です。しかし、その材料が、過去の文明のなかにうずもれていないかどうかを確かめてみることは必要です。そこで、私は、実在界にあるアーカーシャーの記録をひもといて、四億年の歴史のなかの、近々、わずかここ百万年ぐらいの記録から、過去の文明の推移を抄述してゆくこととしました。

まず最初は、ガーナ文明から説明してゆきましょう。ガーナ大陸とは、いまから九十六万二千年前に、海底火山の爆発ののち、海底が隆起してできたものです。
現在のアフリカ大陸と南米大陸とをむすぶ海域が、その場所です。
そして、いまから七十三万五千年前に、大陸の分裂、移動という前代未聞の大事件により、ひとつの大陸が消え、二つの大陸の出現を見たのです。
 この大陸には、四回にわたり、文明が誕生するのですが、ここでは、最後の文明にしぼり、その文明のみをガーナ文明と呼ぶことにします。 ガーナ文明が栄えたのは、いまから七十六万年前ごろから、大陸消滅までの約二万五千年のあいだです。この文明は、すでに述べましたように、「超能力」を中心とする文明でした。
 その当時の人間の大きさは、男性が約二メートル十センチ、女性は約一メートル八十センチ。それが標準でした。この時代の男性は、おもしろいことに、第三の眼があったようです。その位置はひたいの中央部分、ちょうど眉間の二センチ上の部分に、エメラルドのような、緑色をした丸い眼がひとつついていました。この第三の眼は普段は閉じているのですが、超能力を発揮するときだけ、開いたようです。女性にはこの第三の眼がありません。ですから、女性は、超能力をもつ男性の第三の眼をたいへんおそれ、しだいに隷属的地位におかれていったようです。」(「太陽の法」p.245-247)

チベット高原に展開した巨人文明はガーナ文明のもっと前の文明かもしれませんが、人類史は物的な証拠主義の考古学からはまったくみえないのかもしれません。 それにしても、「この辺りに巨人(種)の国があったという伝承を伝えるチベットの古文書」なるものを知りたいものです。
どなたか分かれば教えてください。

2703
Date: 2018-03-12 (Mon)
鈴木正三とソクラテスが教える「死に習う」生き方とは
財務官僚の死が報じられていますがソクラテスからみたら「良き死に方に失敗した」ということだと思います。

ソクラテスはパイドンの中で「知を求めることは「死の練習」である」と語っていますが、霊人となった現代では「今日死んだとして、悔いのない生き方をしているかどうかを自問自答して生きろ」といってるだけなんですよ」と語っています。(「ソクラテス『学問とは何か』を語る」p.146)

同じことを言っているのが三河の禅僧鈴木正三という方です。
DANAネットから紹介します。

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「鈴木正三」―武士から出家して人生に警鐘を鳴らした禅僧―
2018.01.19

 正三は各地を巡錫するかたわら、先にふれた士農工商がそれぞれの職務に精勤することが大切な生き方であるとする『万民徳用』や、女性でも念仏でも救われるとする『二人比丘尼』や『念仏草紙』などを著わしています。


三河足助の禅僧鈴木正三の像

どう生きるかを説いた正三

正三は、「己れを忘れて、己を忘れざれ」

といっています。自分に執着することなく、無私になり、しかも自分を大切にすることであると説いています。それには、

死に習う

ということです。「死に習う」というのは、死に方を学ぶことではありません。死ということをたえず心の底において、積極果敢に生きることです。そこから人生や職務をたくましく前向きに取り組む姿勢が生まれてくるのです。

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ソクラテスの言うことも、正三のいうことも簡単なようで、なかなか出来るものではありません。

もう少し正三の人生を紹介します。

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戦国末期に徳川家の旗本に生まれた正三

大坂の陣で戦場を駆けるも軍功を捨てた正三

42歳で出家し、故郷と天草などで布教した正三

仁王禅を唱えて、「死に習う」ことの大切さを説いた正三とは、どんな人物だったのでしょうか。
10歳のとき、高橋七十騎といわれる武士団に入って、戦闘術を学んでいましたが、徳川家康が江戸に移ると、それに従って鈴木家は上総かずさ(千葉県)の塩子に移住しています。

21歳のときの関ヶ原の合戦では、徳川秀忠を補佐する本多正信の配下として従軍します。

初陣でしたが、中山道を行軍した秀忠軍が信州(長野県)上田城の真田昌幸を攻めたために、関ヶ原の決戦には間に合いませんでした。しかし戦後、父の重次は足助周辺に五百石をいただいています。

それから豊臣家が滅亡する大坂の陣までの14年間は武術に励むかたわら、下妻(茨城県)の多宝院にいる良尊禅師や、宇都宮の慧林寺にいた物外禅師を訪ねて、大愚や愚堂といった禅僧の指導を受けて修行に励んでいます。

このへんがほかの武士と違って、仏道への並々ならぬ関心の深さがうかがわれます。

旗本の身分を捨て出家

41歳のとき、大坂城を警護する大番役に列して、旗本としてエリート街道を歩むかに思われました。勤務の暇には『盲安杖もうあんじょう』を書いています。

その動機は、儒学を学ぶ同輩から、「仏道は世法にそむく」、つまり仏道は世の中の道理に反し、武士の道からもそれているといわれたことでした。

これに対して正三は、

武士の道も人の道も、いずれも『死』を見つめて、それぞれ職務にはげむことである

として、

「生死を知って、楽しむ。己を顧て、己を知る。己を忘れて、己を忘れるな。物事には、すべて心があることを思え。小利を捨てて、大利にいたれ」

などの十項目を表わして、仏道が決して世法と矛盾していないばかりか、心を修する仏道こそが人生の糧になると説いています。この『盲安杖』は、徳川時代をつうじて庶民の修養の書として普及することになります。

正三は、「武士だ、大名だ、旗本だ」といって威張る環境がいやになったのでしょう。42歳のとき、覚悟のうえで髪を切って出家します。もちろん周囲は大反対で、勝手な出家は幕府から咎められると心配したのです。

事実、正三を「切腹させろ」「家禄を没収せよ」という声さえあがったのでした。幕府内でも問題になり、将軍秀忠の意向をうかがうまでになったのです。秀忠は正三の心を知っていたのか、

「それは仏道を求める道心というもので、正三は隠居したまでだ」

と理解を示したので、なんのお咎めもなく無事に出家することができたといいます。

出家の立会人は、庶民禅を説いていた南泉寺の大愚宗築そうちくで、「正三しょうぞう」という俗名の呼び方を「正三しょうさん」として、出家名としたのです。 正三は商人に対しては、もうけることは当然であるが、決して私利私欲に走ってはならない。社会や人のためになることを心がけて商売をすることである。これは「小利よりも大利を求めよ」ということで、それが仏道を修することである、と説いています。 「何ごとも皆、仏道の修行である

と『万民徳用』に記します。いわば勇猛で勤勉に、それぞれの職務を果たすことは、人間と仏道を同時に完成させることになるのです。やがて正三は、

「南無大強精進勇猛仏(なむだいきょうしょうじんゆうもうぶつ)」

を掲げるようになります。  

 正三は、紅葉の名所として知られる足助の香嵐渓(豊田市足助町)の近くにある曹洞宗の古刹である香積寺(こうしゃくじ)の禅僧と交わり、さらに千鳥寺(せんちょうじ)で血を吐くような厳しい修行を自らに課しています。そして46歳のときには、則定の近くに自費で僧堂を建てます。これが石平山恩真寺(せきへいざんおんしんじ)で、そこには各地から僧が集まり、遠近の人々が参集して聞法したといいます。正三は、石平和尚とか石平道人といわれて尊敬されています。

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この「何ごとも皆、仏道の修行である」という思想が日本に資本主義を根付かせることに成功したという見解を山本七平氏が述べています。(「社会的に見た正三の影響」鈴木正三顕彰会 注参照

ところで正三を紹介する書籍(「甦る自由の思想家 鈴木正三」(森和朗著鳥影社)に、自由の思想家と表示してあります。

この書にも書いてありますが、正三の自由はフランス革命に謳われた自由とはまったく違うもので、「仏教的な「心解脱」に伴う自由」です。正三は千鳥寺で血を吐くような厳しい修行をして、解脱の境地を得ています。その結果としての「自由」であることを忘れてはいけないと思います。

 正三が当時の仏教界を激しく批判したことは、[1023]にも紹介しましたが、何も怖いものがなかったのでしょう、批判は自分が学ぶ曹洞宗の宗祖道元にまで及び、心が煩悩から自由になっていない、としています。   

 著者(森氏)は「彼がこのように大胆不敵なことを言ってのけられるのも、とっくに世の諸々のくされ縁から解放されているため。天衣無縫で自由奔放でいられたからだ。」と解説しています。

 霊人ハイエクの霊言(魂の兄弟がソクラテス)では、「江戸時代に日本人として生まれているとしたら、、誰だと思うかね?」と逆質問していますが、誰も答えられませんでした。(ハイエク「新・隷属への道」9章ハイエクは日本にも転生していた?)

 私は「自由の思想家」というのは鈴木正三以外に該当者はいないと思っています。
 天草には命を懸けて島民を守った弟の重成、実子の重辰とともに鈴木神社に祭られています。天草では各地に建立されて周知の人のようですが、日本史の中では神格を持ちながら忘れられた偉人の一人だと思います。


天草島原の乱で荒廃しきった天草を物心両面から復興し、穏やかな今の天草の基礎を築いた3名の功労者を祀る。
代官の鈴木重成公、重辰(しげとき)公、それに仏教思想家の鈴木正三(しょうさん)公である。
境内にある、重成公の遺髪塚や、天草市指定文化財鈴木明神伝碑も見逃せない。小高い丘に鎮座する清々しい神社だ。

注:

「社会的に見た正三の影響」山本七平著より抜粋
(今に生きる―鈴木正三―その足跡 鈴木正三顕彰会p.35-38)

正三は日本の近代化に最も大きな影響を与えた思想家であり、その点では、日本の近代化による世界への影響を通じて、世界に最も大きな影響を与えた日本人の一人ということができる。それでいながら世界はその存在を知らず、当の日本に於てさえ、彼は、一般には名の知られた存在ではなかった。考えてみれば、不思議な現象である。だが、いずれにせよ間接的には世界に影響を与えていることは否定できない。ということは認められているか否か、という点を無視すれば、彼は、単に日本の思想家であっただけでなく、世界に通用する思想家であったということである。
 戦国時代の終り、徳川幕藩時代のはじまりに、なぜこのような人間が出現したのであろうか。

プロテスタンティズムが資本主義の基本になったことは、M・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に詳しい。このプロテスタンティズムに対抗したのがイエズス会であり、そのイエズス会に対抗したのが正三であったことは興味深い。(注釈:正三の著作「破キリシタン」を指す)

正三が考えたのも一種の「万人成仏」論であって、目的はあくまでも宗教的救済である。それでいて、その宗教思想の社会への影響は、共に、世俗の勤労に宗教的な絶対性を附与するという意味で、結果として、現実の社会に共に大きな影響を与えることとなった。そしてその成立年代が共に、一六〇〇年代の前半であることは興味深い。

と言ってカルヴィニズムと正三は、思想的には全く類似点はない。むしろ逆なのである。正三の考え方は万人が仏性を持ち、したがって万人に成仏の可能性があるという前提にたっている、一方カルビニズムは有名なその予定説に示されてているように、その者が救済されるか否かは絶対者によって予定されており、そこに人間が介入する余地は全くないとするのである。このことを日本的に表現すれば、いかに念仏を唱えようと修業しようと、救済を予定されていない者は救済されないということである。いわば成仏できる人間とできない人間は、絶対者によって予め選別されているという形になる。

こういう考え方が勤労に結びつくとは甚だ不思議で、むしろその逆になりそうだが、実は、それを信ずれば人間は、自己が救済をされている側にいると自らに証明できない限り、いわば「安心立命」の境地には達し得ないわけである。それが、『救済の自己証明』という形で絶対的規範を成立さす。いわばそれによって自らに救済を証明しない限り精神的な不安から逃れられないという形になる。その不安からのがれるべく、絶対的規範としての勤労と世俗の中の禁欲が確立するという形になっていく。

「仕事即仏道修行」を説いた精神が三河から全国に流れた
その影響を過小評価しているのではないでしょうか?

霊言を非科学的だといって忌避する人がいますが、

霊言は「智恵の宝庫」です。

少なくとも、「科学」を産む「産婆役」

または「道案内」の役割を果たしてくれます。

2704
Date: 2018-03-13 (Tue)
国会の空転に思う―日本に栄光が戻ることを
トランプ大統領の誕生に尽力したバノン氏が「アメリカのエリートたちが共産党独裁の中国政権を援助し、経済発展させてしまったのは過ちであった」と革新的な講演を行ったことを[2636]ムー文明論は中国が民主化された後の日本に必要なものであるで紹介しました。

今日の産経新聞には古森義久氏が「米国の対中政策ついに決定的変革を迎えた」書いています。
エリートたちが思い描いていた中国の姿に失望感が超党派的に広がっているようです。

民主党オバマ政権で対中政策の要にあったキャンベル元国務次官補も「中国はいかに米国の期待を裏切ったか」という論文を書いたそうです。

「米国は中国を米国主導の政経システムに融合させようと努めてきた。中国の発展は政治的な自由化につながると期待。だが、習近平氏の動きは米国のこの政策の失敗を証明した。習氏は民主主義的な秩序への挑戦を新たにしたのだ。」と報じています。

「総額6兆円以上の公的資金(税金)を供与して、中国を豊かに、強くすることに貢献してきた日本の対中関与政策にも、決算の好機を与えるのではないか」とありますが、日本のエリートたちも愚かな政策をとって来たものです。

中国も韓国もODA(Official Development Assistance(政府開発援助))を受けたことに感謝する気持ちは持っていません。受けた事を国民にも知らせていません。日米ともにエリート達の判断は間違っていたことになります。

一方で、金正恩氏の守護霊は「核兵器を捨てることは考えてもいない。朝鮮半島の統一には「日本悪者論」が必要なんだ、それには韓国とも完全に意見が一致している」と語り、「トランプ氏の任期が切れるまで、攻撃の口実を与えないように外交という条件交渉をやるんだ」とも言っています。

日本をとりまく環境は厳しいものがありますが「100万の在日を使って、憲法改正などに走る安倍路線の切り崩し工作をやっている。日本の野党は有難い存在だ」と語る金正恩氏の思惑が見えていません。

文書の書き換えは誰の指示なんだと、大騒ぎしていますが、工作員を放っている隣国の指導者は「上手くいった」とほくそ笑んでいるに違いありません。

鈴木正三はイエズス会の裏にある「日本占領の意図」を見抜いて「破切支丹」という書を著し、誰でも読めるように書写し、島原半島の何箇所かの寺院に納めているそうです。

日本が正三や聖徳太子のように聡明な指導者によって昔日の栄光を取り戻す時代が来ることを祈っています。

2705
Date: 2018-03-14 (Wed)
日本を貶めるのは「日本精神」に反している
今日の産経新聞にジャーナリストの大高未貴氏が“日本を貶めることは許されない”という記事を書いています。

これまでに紹介してきた大日孁貴神を初めとする、日本を守っている神々から見れば当然の言葉であろうと思います。日本を貶めることは日本精神に反しています。

日本を貶めてどうするのだ、日本の使命が果たせるのか、とお怒りになっていることは想像に難くありません。

 鈴木正三が「破切支丹」を書いたのも、同じく海外から伝わった仏教とはまるで違う「他国を侵略する意図」を読み取ったからでしょう。仏教には「衆生を救う」という理想がありますし、日本の神々には「太陽のように世界を照らす使命」というものがあります。 大高氏の記事に載っている方々にどのような理想があるのか、日本を貶めて何をしようとしているのか、を聞いてみたいものです。


日本を貶める人々よ日本を貶めてどうしたいのか?理想は何か?

彼らには3月8日に緊急収録、かつ緊急出版される「文在寅vs金正恩」を読み、守護霊の声(本音)を知っていただきたいと思います。

文氏は「北を国家買収し、統一戦線で日本を植民地にする」と言っています。金氏は「韓国を利用し、トランプ大統領の任期切れを待つ」と言っています。


緊急収録・緊急出版の書籍

日本の国会は空転し、何ら有効な手立てが打てないでいます。
それもこうした「日本を貶める人々」に代表される「日本は悪い国だ」と考えるピロリ菌を増殖するための日本弱体化トラップ(藍・金・黄(BGY ブルー、ゴールド、イエロー)工作という発明?)が効いているからです。(注参照

中国の政治体制を壊そうと頑張っている中国人の郭文貴氏のほうが正鵠を射る視点を持っています。「再軍備して核武装すれば日本は大国になれる」・・・と。

注:郭文貴氏の投稿文

郭文貴氏:不正暴露の実績及び将来への意義
日本語翻訳:日本郭文貴後援会

私たちがこれまで、様々な情報を暴露し、預言してきたことが、中国共産党第十九回全国代表大会によってほぼ証明されたのではないでしょうか。このことは今更議論の必要はないと思います。
私たちの告発の正当性は誰も否定することができません。
私達の継続している行動が、彼らが言うように、何ら真実ではなく影響もないものであるというのならば、彼らはこのような恐怖心にとらわれ、膨大な資金を使って攻撃(ハッキングなど)することはあり得ないでしょう。 そして、今回大会が終わりましたが、今起きている重要な問題に気付いている人はあまりいないようです。それは、北京政府が単にネット統制を強めていることだけではなく、軍事レベルの統制が行われていることです。 “軍事レベルの統制”ということは、彼らに致命的な打撃になっている証拠です。軍は国を守ることではなく、国民の反発を防ぐことが主要な任務となっています。

ここで重要なのは、私が前にワシントンで言ったことや、メディアでずっと語ってきた劉延東氏のことです。 劉延東氏という女性は、統戦部の副部長でした。大勢の方が彼女のこの職務を忘れていたと思います。BGY(ブルー、ゴールド、イエロー)計画は劉延東氏が発明したものです。このBGY計画は今回私の曝露で、更にツイッターの皆達の拡散によって、誰も知っているようになりました。私たちがやっていることは彼らが強く推進、普及しているBGYに対する大きな打撃を与えたのです。 この状況が全世界にも見られています。これほどまでに、世界中に中国政府内部の悪行が露出され、大勢の中国人の真実の声がツイッターを通して世界に届けられることはこれまではありませんでした。私たちが今行っている行動は、中国共産党政府の運命を大きくおびやかしています。

彼らにとっては、ツイッター党(中共が命名した)と、私達が9ヶ月間曝露したことは、中国現代史上の未曾有な挑戦です。私達は邪悪に対する巨大な反対勢力であることを示しています。趙岩さん、明镜メディア、郭宝胜さん、耿炎さん、及び日本応援会、豪州の声メディアなどの方々は、今自分たちの行っていることは、重要な歴史の一端を担っていることをどうかご自覚ください。誰にも、この真実を否定することはできませんし、私たちは悪に対する勝利に十分な自信と決意を持たなくてはなりません!」

参考:
郭文貴日本後援会の街宣活動

文貴戦車隊東京大遊行

2706
Date: 2018-03-15 (Thu)
鈴木正三の現代版「破切支丹」を推測してみた
個人的な見解ではありますが、鈴木正三の魂の兄弟がハイエクだとすると、「昔の日本には言論人はいたんだろうかねえ。現代には私(ハイエク)が生まれていたから、いないね」(「ハイエクの霊言」p.148)
 ということですから現代社会に正三の再来は望めず残念です。

でも、臨時的にも降臨すれば「破・「藍・金・黄」の企み」として、以下のように「御触れ」を配布するのではないでしょうか。

「近年渡来する藍・金・黄工作者たちは、まったく天道を恐れることもなく、勝手に「日本悪者説」をつくりだし、この国を夷狄扱いする風潮を指嗾している。この国を中華の国が侵略するための計略によって、さまざまな嘘をつき人を誑かしている。また、この国の盗人学者やマスメディアが心を同じくして、左翼思想家を育成し、多くの人を引き落とす。その罪甚だ重く、天罰・仏罰・人罰のうち一つもまぬかれることはできない。」

因みに本物の「破切支丹」の一節を紹介しておきます。


『破切支丹』の一節
加藤みち子編訳「鈴木正三著作集J」p.115より

藍・金・黄(BGY)に嵌った学者や政治家として○本○太郎氏などの名が知られていますが、今日の産経新聞にも小泉元首相の名前が「晩節を汚すな」という忠告文の中に読みとることが出来ます。

阿比留記者が書いた記事の抜粋を紹介します。


こんな騒ぎを一番喜んでいるのは誰か?

BGYの被工作者達には「和を以って貴しと為す」などの教えはまったく眼中にありません。
現代のバテレンは誰か?イルマンは誰か?
推定してみてください。

追記:

BGYに引っかかる心とは正三に言わせれば次のような欲心なのでしょう。名声欲という欲心が「不純な誘惑」を引き寄せているのではないでしょうか。

「今時の出家は、餓鬼心深きなり。まず小僧より智者の名を貪り、人に勝らんことを思う智欲餓鬼あり。その後、江湖頭餓鬼(江湖会の頭になりたい)、転衣餓鬼(出世したい)、寺餓鬼、法幢餓鬼(盛大にやりたい)、隠居餓鬼、この念を本としてあらゆる餓鬼心を造り出し、片時も安きことなく、一生空しく餓鬼の苦に責められ、未来永劫この念に引かれて、三悪道(地獄・餓鬼・畜生の世界)に堕すべき類いばかりなり。必ず用心して、餓鬼道を免れめされよ。」(『驢鞍橋』上・五)

2707
Date: 2018-03-19 (Mon)
後世への「最大偽物」を残すな
大陸はなぜあるのではJAMSTECの田村氏との議論が紹介されています。

「西之島は大陸の卵」に疑義あり「その7」では、フィリピン海プレートの湧き出し口の問題があり、田村氏は「対流のわき出し口については私はわかりません」ということです。
「分からないのに、分かったように扱う」のは非科学的な姿勢です。自分の頭では考えていない証拠で、“洗脳”とも言います。

「その8」では、プレートを移動させる原動力の話があり、ブログ主は「伊豆半島がかって南の島であり、北上して日本列島に衝突したという説がどんなに魅力的で、数多くの科学者の賛同を得ているにしても、その説には重大な欠陥がある。フィリピン海プレートには原動力がない。伊豆半島を北上させた力が見つからない。」とあります。

このセミナーでも何度の言及していますが、フィリピン海プレートは誕生場所の無い幽霊のような存在ですし、ウェゲナーの大陸移動説が否定された理由である「移動させる力」はなんら解決されていません。そのうえに、「付加体理論」の出現によって、「日本列島付加体論」にまで発展しています。嘘を嘘で塗り固めたようなものです。

プレート論や付加体論は何の科学的な説明もできない似非科学であり、「後世への最大偽物」です。

鈴木正三は42歳で武士から出家した禅僧ですが、当時の仏教界を猛然と批判しています。([2706]追記参照)
始祖の道元をも「心の自由が得られていない」と喝破していますが、「知欲餓鬼」「出生欲餓鬼」等がうようよしていると警告しています。
現代の地球物理・地震学においても同じような世相が展開しています。残すべきは財宝となるべき「後世への最大遺物」であって、「偽物」であってはなりません。

正三曰く、「必ず用心して、餓鬼道を免れめされよ


加藤みち子編訳「鈴木正三著作集K」p.4-5
『驢鞍橋』上・五より

2708 
Date: 2018-03-21 (Wed)
チベットの国家滅亡から学ぼう
ペマ・ギャルポ氏の「犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人」から「何故チベットが滅んだのか」を学んでおきたいと思います。

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チベットはなぜ滅んでしまったのか  

チベットは一七世紀、ダライ・ラマ五世が中央政府を成立させてから、一貫して緩やかではあるが鎖国政策を敷いてきた。これは日本の江戸時代同様、必ずしも悪いことばかりではなかった。当時、西欧諸国は、アジアに対し宣教師を事実上の尖兵とする形で、侵略の手を伸ばしており、仏教国チベットが、国防上も、また信仰上においても、彼らの侵入を遮断しようとしたのは一理あった。そして日本同様、鎖国体制下で、国内の仏教文化は成熟し、僧侶たちは平和のうちに修行を積み、思索を深め、後に触れる川喜田二郎氏が指摘するような、インドとも中国とも違う独自のチベット文明を築き上げることになった。  

 しかし同時に、このような体制は、一九世紀の帝国主義の時代にはすでに通用しなくなっていることに、当時のチベット人も中央政府も十分気づかなかった。もちろん、チベット全土が標高四〇〇〇メートル以上の高地であり、ある意味、自然の要塞として、外敵から守られていたことも事実だ。そのため、ある種の「平和ボケ」と、世界情勢への無知がはびこり、ダライ・ラマ一三世の治世には、イギリスや清国の侵略や干渉を受け、法王がしばしば亡命せぎるをえないような事態を迎えていた。それでも、一三世は危機意識を持ち、いくつかの近代的な改革に着手しようと努力はしたのだが、一九三三年、それが実を結ばないうちに、一三世は世を去った。

 近代化を阻害したのは、残念ながら、チベットで大きな勢力となっていた僧侶たちに一定の責任があったと言わなければならない。 彼らが国防のために近代的な軍隊の必要性を重要視しなかったのは、中国の侵略に対して決定的な弱点となった。さらに、僧侶が国連への加盟にも批判的だったことが国際社会の支援を受けにくくした。

 要するに当時のチベット人社会はあまりにも過去の伝統と信仰に捉われ、時代の変化を理解していなかった。国内においても結束を欠き、私の一家がラサで体験したように、挙国一致で侵略に当たるという姿勢が見られなかった

チベットを滅ぼしてしまった原因の一つとして、国内の団結力の無さ、国際感覚のない一国平和主義、外交交渉の不手際などがあったことは、チベット人として率直に認めざるを得ない事実である。

憲法九条は日本を守ってくれるのか

しかし、私は同時にこのチベットの悲劇を日本の人たちにもぜひ教訓としていただきたいと考えている。現在の日本国憲法前文、そして第九条と、それを守るべきだとする日本の知識人、政治家の発言は、私にはかつてのチベットを滅ぼした言説とまるで同じ幻想にとらわれたもののように見える

 現実にチベットで侵略者に植民地化された実態を知る私には、そのような言葉は、他民族に支配されるという現実を知らない人の戯言にしか聞こえない。

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チベットは、“時代の流れに後れたラマ僧”の影響が強すぎて、一致団結して中国の侵略に当たることが出来なかったそうです。ところが、今の日本も“時代の流れを読めない無信仰者”つまりマスコミや言論人の影響が強くて中国の侵略に有効な手立てが打てていないと警告されています。

 ペマ・ギャルポ氏の日本への警告は「「最終目標は天皇の処刑」 中国「日本開放工作」の恐るべき全貌」([2137][2428]など参照)にも詳しく載っています。

今日の産経新聞にはオーストラリアで中国による内政干渉を警戒する動きが報告されています。中国の巧妙な介入の手法を日本も認識するべきだとクライブ・ハミルトン教授が語っています。

アメリカにトランプ大統領が誕生して以来、中国の侵略を警戒する動きが目立っていますが、日本は隣国の工作員が一番楽に侵入できる国家であるようです。北朝鮮からは一番成績の悪い工作員が日本担当になるそうです。「侵入が一番やさしい」からだそうです。

日本の社会には隣国の工作員がたくさん侵入し、藍・金・黄工作(「日本開放第二期工作要綱」(注:参照)では金はcashのC、黄はhoneyのHになっています)に従って工作活動を行っていることを知っておくべきです。

隣国との友好を拒絶する意味ではありませんし、一般市民とは友人でありたいと思いますが、チベットの悲劇をこの国に再現させてはなりません

そのためには日本には「ラ・ムー大王」が教えた「一致団結して国を纏め、隣国にも太陽のように恵みを届ける使命がある」(日本思想)という認識が必要だと思っています。

だから、


ムー大陸を否定するプレート論や付加体論は捨てなければなりません。
ムー大陸などなかったという通説を変革しよう!

注:「最終目標は天皇の処刑」p.108より

操られている日本人  

マスコミに限らず、日本人全体の中国に対するあまりに無警戒、あるいは自虐的な姿勢は、時折理解に苦しむことがあります。あたかも何者かに洗脳され、操られているかのよぅでもあります。多くの人は「そんなことあるはずがない」と笑うかもしれませんが、催眠術だつて掛けられている当の本人は気がつかないものなのです。そして実は、それを示唆するかのような文書が、冒頭で記した「工作要綱」です。
この文書に書かれている内容と実際に日本で起こつた事象とを照らし合わせてみると、あまりに符合する部分があって、おそらく誰もが驚くことと思います。全容は、巻末に資料としてまとめてありますので、是非参照して下さい。
国民新聞が「日本解放第二期工作要綱」という資料をスクープとして掲載したのは1972年8月5日のことです。偽書として疑われるのも仕方ないのですが、その中身は実に精緻にできています。

2709
Date: 2018-03-22 (Thu)
日本の孤立化を狙う文・金の南北指導者
トランプ大統領になってアメリカの対中国観が歴史的に変革したことを産経新聞は何度も伝えていますが、NHKや朝日新聞では報道されません。

憲法改正など、安倍政権の路線を何とか変えようとする「些細な問題」ばかり取り上げています。これも藍工作の一環なのでしょう。それに気付かないで、左翼的な流れが止められないのなら、それも日本民族の実力というべきかもしれません。国家衰退に向かうでしょう。

しかし、中華思想や小中華思想を操る隣国の「工作」を見抜いて、日本を正しい方向に向ける「民族的実力」を持ちたいものだと思います。

今日の産経新聞から紹介します。

ロバート・サター教授が、『「中国の夢」というのはグローバルな野望であり、米国の弱体化を図る米国への挑戦である』と気付いたのは一年半前のことで、自分は気付いたけれども、オバマ政権下では『中国との協議こそが米国を利する』という政策が変わらなかった、と述べています。

日本の保守政治家ならば、「それが中華思想」と見抜けていたことでしょう。トランプ氏は安倍首相から学んでいると書いていますが、もっと早くルーズベルト大統領の時代から「中華思想の本質」を学んでおいて欲しかったと思います。

一方で、南北朝鮮の指導者も、アメリカと引き込んで「日本孤立化」を画策していますが、トランプ大統領は「小中華思想」であることを見抜いているでしょう。「日本敵視策」のようなものには乗らないと思います。

NHKや朝日などの左翼メディアは長い日本の歴史の中では珍しい「中華思想礼賛者」のように見えます。
だから、聖徳太子や、その他の歴史上の偉人を引き摺り下ろしたくなるのかもしれません。

トランプ氏の盟友バノン氏が言っているように日本でもエリートの意見に惑わされないで「皆の衆革命」を推進しなければいけないと思います。([2659]「太陽信仰の精神」を破壊したルーズベルト時代のアメリカなど参照)

2710
Date: 2018-03-22 (Thu)
利便さの裏にある恐ろしい唯物論国家中国の未来
中国の社会は益々恐ろしいことになっていきそうです。ナチスが行なった「アーリア人種至上主義」のような「一種の人種差別政策」が進行しています。政府の決めたルールに従う人が「優秀な人種」と認定され、優遇されていく世界です。認定されないと新幹線や飛行機にも乗れず、国内を自由に移動することができません。恐ろしいことです。

アメリカや国際社会はそんな社会を許さないでしょう。

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中国、「社会信用度」の低い国民の鉄道・航空機利用を制限へ


中国政府が計画する社会信用システムによって、国民が格付けされはじめています。
(写真:ロイター/アフロ)

 中国政府は「社会信用システム(social credits system)」計画を2014年に発表しています。社会信用システムとは政府が国民の様々な個人情報をデータベース化し管理するもので、2020年の完成を目指しています。ですがこのシステムには、集められた情報から独自の基準で国民を格付けし、点数の高い者を優遇したり、逆に低いものに何らかの制限を課すものも含まれており、実際にそのような制限が実行されはじめました

社会的信用が低いと飛行機に乗れない

 中国政府はこのほど、社会信用ポイントの低い国民に対して、高速鉄道や航空機の利用を最長一年間禁止にする処置を、2018年5月1日から開始すると発表しました。中国では高速鉄道や航空機を利用する際には統一の身分証での番号登録が必要なのですが、点数の低い者は利用を拒否されるというものです。

 対象となる人は、「テロについての誤った情報を広めた人」「フライトに関する問題を引き起こした人」「電車の中で喫煙した人」「期限切れのチケットを使った人」また社会保険料の納付をしなかった雇用者や、罰金を納めなかった人なども該当します。

 2017年に中国政府は、過去4年の間に社会的不正を行った615万人のフライト利用を禁じた、と述べていることもあり、今回の処置は前から準備されていたことが推察されます。

スマホからも測定される「信用」

 社会信用システムの構築は、政府だけのものではありません。中国ではスマホからQRコードを読み取るだけで簡単に決済ができる「スマホ決済」が普及しています。中でも「アリペイ(Alipay)」を所有するアリババグループ傘下の信用調査機関「芝麻信用」は、独自の基準でユーザーを査定し、信用度を350〜950点で評価しています。これは信用度を5つの観点(身分、支払い能力、信用情報、交友関係、消費の特徴)から検討し、ユーザーに点数を公表。点数が高ければ低利融資や保証金が不要となるなどの利点があります。

 逆に点数が低ければ冷遇され、例えば一定の点数を下回るユーザーはレンタルマンションの予約が取れなくなる、といった処置が取られています。「芝麻信用」はアリババグループが運営する民間企業ですが、すでに一部政府にデータを提供していたりと、民間企業のデータが政府の社会信用システムに寄与する方向で進んでいます(この問題について筆者は別媒体で論じました)。

 また芝麻信用にせよ政府の信用システムにせよ、その基準は非公開となっていることから、特定人物のスコアを不当に低く設定する可能性もあります。このようなシステムの不透明性や、そもそも格付けによる個人の権利侵害が許されるのか、といった批判も以前から生じています。

監視と管理が進む中国

 国家による国民の統制を目指す中国では、インターネットの利用を制限する「グレートファイアーウォール(金盾)」などが有名です。その他にも、中国国内には監視カメラが1億7000万台あると言われており、近年発展が著しいIT技術の中でも、特に顔認識技術が政府によって利用されています。

 2018年2月には、警察官が人工知能を搭載したグラスを着用し、車のナンバーと運転手の画像を政府のブラックリストと照合し、一致した場合は警告を発するシステムが開発されています。このシステムによって交通違反から人身売買まで、多くの犯罪者の逮捕に貢献しているとのことですが、プライバシーや人権といった観点から批判の声も多く聞かれます。

 いずれにせよ中国では今後、利便性と引き換えに様々な統制が行われることが予想されます。国外に対しても国内に対しても、中国がどのような政策を行うのか、今後も注視する必要があるでしょう。

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こんな国に住みたくはありませんし、許してはならないことだと思います。

民衆を為政者の奴隷にする独裁国家です。全体主義国家を描いたジョージ・オーウェルの「1984年」のような社会が開始されていることを感じます。

Wikiより「1984年」のあらすじを紹介します。

あらすじ

1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。作品の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている

ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジューリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。また、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジューリアと共に過ごした。さらに、ウインストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。

ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、愛情省で尋問と拷問を受けることになる。彼は、「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑(銃殺)される日を想いながら“心から”党を愛すようになるのであった。

本編の後に『ニュースピークの諸原理』と題された作者不詳の解説文が附されており、これが標準的英語の過去形で記されていることが、スミスの時代より遠い未来においてこの支配体制が破られることを暗示している。ジョージ・オーウェルは、この部分を修正・削除するように要請された際、「削除は許せない」と修正を拒否した。

追記:

中国で生活した人の体験談を、[2602]に紹介しましたが、中国で教育を受けると「チベットも、ここも、み〜んな含めて、中国はひとつ!」、「かれらは中国人になるべきなのに、それに反抗するから(弾圧しても)仕方がないのだ」と真顔で言える人間になってしまうようです。

「外国人生徒たちが唖然とする中で、教師は微塵も揺らぎない信念とでもいうように堂々と何度もそれを繰り返していました。しかし、その信念を裏付ける理由は一切説明されない。
ただ、 「全部まとめて、中国はひとつ!」「かれらも中国(人になるべき)なのです!」 と繰り返すのみである。」

という状況だったそうです。

中華思想に染まらない人にはそれがおかしいことはすぐにわかりますが、同じような事が地球科学の世界でも起きています。

プレート論は真実であるという教育を受けると、「違う考え方、もう一つの地震学がある」ことがまったく見えなくなってしまいます。

教育とは恐ろしい一面をも持っているのです。

世界の幸福を願うという視点では、「中華思想」「白人至上主義」よりも「日本思想」のほうが人類を幸福にする高度な概念であることを認識したいものです。

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