新・地震学セミナーからの学び
42 「地球温暖化」を予言するモデルの危うさ
学研ムック 最新科学論シリーズの「科学理論はこうして崩壊する 科学の危機 1995 」という9年前の雑誌に表題のような記事がありました。
不完全な大気循環モデルに基づいたシミュレーションによって、炭酸ガス排出規制が全世界レベルで実施されようとしています。地球温暖化の原因はもっと違う要素が関係していると思います。海嶺付近の海底火山で放出される地球内部からの熱量です。モデルにはこの影響が組み入れられておりません。間違った理論、吟味されることのない一論文によって大きな社会的影響を受けているのは、地震に関しても言える様に思います。矢沢サイエンスオフィスの論文から抜粋して紹介します。

「地球温暖化」を予言する大気モデルの危うさ

未来についての不安な予言

毎年、世界中で科学研究の成果について何千もの報告が行われている。それらの多くは一般社全に何の反応も引き起こすことがない。あまりにも専門的あるいは個別的な内容で、社会への影響がなきに等しいからである。

しかしときには、たった1本の研究報告が世界の世論を著しく刺激し、重大な政治的・社会的問題に発展することも少なくない。1980年代に起こったそのような事例の典型が「地球温暖化」についての報告であった。

いまや世界中の人々の”常識”にさえなっている地球温暖化への危機感の引き金――それは1981年、NASAゴダード宇宙飛行センターの大気学者、ジェームズ・ハンセンらが科学専門誌「サイエンス」に発表した1篇の論文であった。

彼らはその中で、「人間活動が大気中に放出する二酸化炭素により地球が温暖化する」という予言を発していた。予言には、この温暖化によって南極の氷が解け、その結果、世界の海面が上昇して多くの都市が水没し、内陸部は砂漠化するなど、人々を不安に陥れる結末が含まれていた。

ハンセンらの地球温暖化の予言はマスコミの強い反応を引き起こし、世界中の人々を地球の温暖化あるいは温室効果の議論の中に有無を言わせず取り込み、各国の政府や研究機関を動かして、ついに10年後の1992年には、リオデジャネイロで地球環境に関する今世紀最大の国際全議「地球サミット」を開かせるまでに至った。このころまでに、地球温暖化、二酸化炭素、温室効果などの言葉は、大衆社全のありふれた日常語と化したのである。

ハンセンらはこのときの論文で、次のように述べていた。

「次の世紀に予想される地球温暖化はほとんど前例のない規模のもので、たとえエネルギー消費の伸びを低くし、化石燃料と非化石燃料の併用を進めても、最大2・5度Cの温度上昇が起こると予想される。これは、恐竜が生きた中生代の暖かさに近づくほどのものである」

地球の温暖化に限らず、未来について何らかの不安な予測がなされると、その信憑性はさておいて、多くの人々はギョッとし、耳をそば立てるというのは、自然の反応である。とりわけ発言者が権威性をそなえた科学者となれば、その言葉の衝撃性から逃れることは、誰にとっても容易ではない。

そこで語られた内容は、マスコミによってしばしば一部分を恣意的に抽出され、拡大解釈され、敷衍される。社会がそのように反応することは、ときには有効に働いて、いくらかでも困難を未然に防ぐように働くかもしれない。しかし逆に社会の不安をあおって冷静な対応を見失わせ、不要な混乱を引き起こす可能性も小さくない。

地球温暖化の単純すぎるシミュレーション

1980年代の後半まで、科学界ではたしかにハンセンらの主張は基本的に支持されていた。彼らの報告を受けて、各国のいくつもの研究者グループが、人間の放出した二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスが、20世紀に入って以来観測されてきた地球の温度上昇の主要な原因ないしはすべての原因だと、くり返し結論したのだ(二酸化炭素による温暖化の議論は部分的には1970年代から始まっていた)。

むしろ、これらの研究から引き出された温度上昇の予測は、ときにはハンセンらの予測を上回ってさえいた。化石燃料の消費が今後も増え続けるなら、21世紀には平均温度は5度Cも上昇するかもしれず、その場合には世界各国の農業地帯が大干ばつに見舞われ、人間生活に破滅的な影響を与える可能性があるというものもあった。また、南極の氷がいっきに解け出して、世界の海面は70メート上昇するという数字まで登場した(最近では20センチとか30センチとかの予測が多い。誰もわかっていないということだろう)。

そして、このような破局的未来予測に、マスコ、だけでなく各国の政府もつき動かされ、国家レベル、国際機関レベルの対策を緊急に打ち出すべきだという主張がくり返された。

しかし、これらの予測がどこまで信頼できるのかとなると、話は別である。温暖化予測はいずれも、地球の大気現象(気候)についての仮説をもとにして、そこに二酸化炭素の増加予測(これもたいして根拠のない推測)や海洋に溶け込む二酸化炭素の量、太陽放射の吸収・反射率の変化など、いくつかのパラメーターを挿入するというシミュレーションの手法で行われる。

だが、この"温暖化理論"の骨組みである数値的なモデル(大気大循環モデルなどと呼ばれる)そのものが、いまだきわめて単純かつ初歩的な試行錯誤の段階にあり、とても複雑きわまる地球のダイナミズムを正確に反映したり予測したりできるとは言えない。その2,3の理由を挙げてみよう。

第1に、これらのシミュレーションでは、考慮されるパラメーター(変化を引き起こす要素)がつねに限られており、自然界の現象を動かしているすべての要素を取り込むことは非現実的なまでに不可能だということである。自然界では、あるマクロな状態の中にたったーつのミクロな要素が加わるだけで、すべての様相が一変することもあり得る。しかし何がそのときのミクロの要素となるのか、それがどのような形で関わってくるのかは、まったく予測できない。

第2に、シミュレーションに取り込まれた個々の要素が全体に与える影響は、他の要素との組み合わせしだいでほとんど無限に変化してしまうにもかかわらず、そのような変化を前提としたシミュレーションなど想像することさえできない。ある抗ガン剤と単純な血圧降下剤は、いずれも単体で使用すると副作用がないが、併用すると予想もできない作用を引き起こし、ときには患者を死亡に至らせるといった事例と同じである。エトセトラ。

これらの理由から、シミュレーションによって、つまり数値的なモデルによって自然界の振る舞いを予測するということは、よほど単純な現象を別にすれば、まったく空理空論的な試みだということになる。

多くの人々の記憶に新しいであろう最近の例で言えば、1995年7月前半の時点で気象庁は、この年の夏は冷夏になると予測し、発表した。それからまもなくやって来た実際の夏は、観測史上空前とかの猛暑続きとなった。そして9月11日の朝、その日の東京の最高気温は29度以下と予報されたが、4、5時間後には35度に迫っていた(正午直前に2度にわたって修正発表を行ったのがいっそう情けない)。これは、スーパーコンピューター時代の、そして国家から「気象予報士」なる資格を授けられた"専門家"たちの予測能力を示す、まったく象徴的な出来事であった。

日常的な予測がこのような状況であるから、まして数十年先を視野に入れた地球温暖化の予測に疑間が生じるのは当然である。

海洋が気候を支配する

温暖化といえば二酸化炭素、二酸化炭素といえば温暖化という短絡的な発想は、いまやすっかり人々の脳裏にオンプットされ、焼きついている。われわれはまず、この無邪気な先入観を捨てなくてはならない。

1993年5月にアメリカ、ボルティモアで開かれたある会議に、NASAのマーク・チャンドラーの表現を借りるなら「もう少し先を行く研究考たち」が集まった。そこで議論されたことは、たしかに二酸化炭素は地球の歴史の中で変動をくり返してきたが、過去の温暖化で重要な役割を果たしてきたのはじつは「海洋」である、というものだった。

これまでに二酸化炭素を主役にして作られたそのときどきの大気モデルは、シミュレーションによって過去の温暖化を描き出したり、将来の温暖化を予測したりしてきた。だが、アメリカ地質調査所のD・ポーアらによれば、このやり方で導かれる温度分布は、太古の堆積物などから得られた古気候学のデータとは合わない。二酸化炭素を中心にすえたモデルは地球全体が温暖化するかのように議論しているが、古気候学のデータは、温暖化は極地に近いほど強く起こり、赤道側ではほとんど変動が起こらなかったことを示しているという。

これは、たとえ二酸化炭素による温度上昇があっても、熱容量のきわめて大きな海流が赤道側の熱を高緯度地域に大量に運び、熱帯地域の温度を一定に保つためと見られる。そしてこの強力なメカニズムに変化が生じると、たとえ二酸化炭素の量に変化が生じない場合でも温暖化を引き起こすことがある。中生代と新生代における温暖な気候はこのメカニズムによるらしいとポーアらは報告している。

大気モデルには批判的な目を

最後にもう1つ、地球温暖化説にとってちょっとつらい報告を紹介しよう。それは、1994年秋にイギリス、リーディング大学の3人の科学者が「ネイチャー」に発表した論文である。彼らが化石の中の酸素同位体などの調査をもとに行った研究によれば、恐竜の全盛期であった白亜紀(1億4400万年前〜6500万年前まで)の地球大気には2000PPm、つまり現在の8倍もの二酸化炭素が含まれていた。ところが当時の平均気温は、いまとほとんど同じだったという。つまり、二酸化炭素の量によって地球の大気温度を単純に予測することはできないということである。温度を動かすメカニズムは他にあるのだ。

このように地球大気の研究が進むにつれ、研究者たちは、自然界の複雑さと現在の大気モデルの根拠の薄弱さを思い知るばかりである。近年では、地球は温暖化どころか、むしろ寒冷化に向かっているとする報告もしばしば目にする。温暖化よりも寒冷化の方が、人間を含めて生物の世界が受ける打撃は比較にならないほど大きい。

ビッグバン理論や素粒子理論が間違っていたからといって、人間社会や地球のあらゆる生物が深刻な打撃を受けるということはありそうにない(それらを信じてきた人々は個人的に落胆し、その研究に投じられた巨額の税金は無駄になるかもしれないが)。

しかし、地球の大気についての理論がいい加減であるために国や自治体が誤った施策を実行すると、それは入間とその他すべての生物の世界に悲劇をもたらす可能性がある。その意味では、きわめて社会性の強い温暖化予測や大気大循環モデルと称するものに対し、納税者としてのわれわれは、単なる知的興味以上の、批判的で厳しい目を向けるべきではなかろうか。

以上がその抜粋記事です。「理論がいい加減であるために国や自治体が誤った施策を実行する」ことによって、大きな混乱が起こるのは地震関係でも同じです。私は間違ったプレート説によって、誤った施策が行われているのではないかと思っています。「納税者としてのわれわれは、単なる知的興味以上の、批判的で厳しい目を向けるべきではなかろうか。」という言葉は地震関係の予算執行に関しても言えることだと思っています。