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2007-01-05 (Fri)
磁極移動曲線に関する疑問
2chの論客(?)のカキコを読んでいると、気が滅入ってしまうようなものが多いのですが、冷静な見方をされる方の中には
「新しい地震学が始まっている。・・・以前新しい地震学について石田地震研究所を紹介したのだが、非常に刺激的な展開があって目が離せない。・・・まだ地球内部のことは分からないことだらけなので、どんな新説・奇説が出ようと寛容になるべきだと思う。」
というように、勇気付けられる意見の方もあるので、(石田理論に肯定的サイト)気を取り直して記述を続けてみます。
さて、大陸移動を証明したと言われているニューカッスル学派の成果というものが、僅か数個の資料(アメリカ大陸上で5資料、ヨーロッパ大陸上からは僅か3資料)からだけで磁極の移動曲線(ナメクジ軌跡)を決めているので、資料が増えても大丈夫なのだろうか、という危惧を感じることを述べました。([1215]参照)
案の定、その後の研究では、各大陸の地塊資料から得られる磁極の移動曲線がバラバラになり、解釈が混乱しているようです。まるで何匹ものナメクジが這い回ったような軌跡になっているのがわかります。
(「地球の科学」NHKブックスより)
図を引用させていただいた「地球の科学」には以下のようにあります。
「ヨーロッパと北アメリカだけからの二本の線があった時には、この二つの大陸が互いに遠ざかったと考えることによって、二本の線を一致させることができたが、今や、こう、たくさんの極軌跡が出てくると、話は簡単でなくなる。どの大陸をどう動かせばよいのだろうか。こんなに散らばった線を一つにもってくることはとてもできない相談である。」
そこで陸塊の回転という考えが起こってくる・・・と解説が続きます。
石田見解(現代の地動説とも言うべきポールシフト論、またはハプグッドの地殻滑動論)では、(ナメクジ型の)連続線にはならず、UFO型不連続線になりますので、磁極の移動点が複雑にプロットされることにはなんら問題は存在しません。
ただここで、変だなと感じるのは、磁極移動点がこのように、全地球表面に散らばっているのに、「磁極は赤道近くの低緯度帯にまで移動したことはありません。」という認識を持っておられる方があることです。セミナー[322]では「とりまき」氏が以下のように断定されています。
「重要なのは、この間に世界中の岩石に記録された古地磁気は一度も中途半端な方位(例えば現在の低緯度方位)を向いたことがないという事実です。かっての磁極は、地軸の示す極から30度以上離れた事がありません。」
30度以上離れたことがなければ、このような軌跡になることは無い筈なので、理解に苦しむところです。
また、竹内均先生もその著書の中で以下のように、地球がひっくり返るわけではない、磁場だけが逆転するのだと述べられて、磁極の低緯度帯への移動など無かったというような見解を述べておられることも、理解に苦しむところです。
「地球磁場は数十万年に1回ずつ逆転する。最後の逆転が起こったのは今から約70万年前である。地球磁場が逆転すると言っても、地球そのものがひっくり返るわけではない。地球の姿勢はそのままで、磁場の向きだけがひっくり返るのである。」(竹内均著「地球は半熟のゆで卵」p.30 同文書院)
「とりまき」氏や竹内先生の見解では、全球凍結([1130][1131]など参照)の重要な根拠とされる
「かつて、赤道近くのナミビア付近に、極地があったことがある。」
という見解とは全く衝突してしまいます。
(注:この部分は間違えました。極地ではなく、氷河の痕跡ということですから、直接の矛盾ではないですね。ただし、磁極移動線は赤道をも通るとされていますから、磁極が赤道にあることは地球が姿勢を変えないと説明はできません。)
また、「古地磁気とプレートテクトニクス」(西山慶尚著)という論文には、
「磁極が逆転するプロセスについては、詳しいことはあまり知られていない。筆者が測定を行った愛媛県内の火成岩の中にも、逆転磁化を示すものがたくさん見つかっている。(中略)・・・・そのうち、2地点の磁化は、見かけ上は上で述べた地磁気が逆転する途中の中間的極性を示しているが、この中間的極性が、果たして極移動の途中の状態を表しているものであるのか、それとも、岩体の回転運動によって磁化方向が二次的に変化したものか、このデータだけでは決めることができない。」
とあり、正磁極(現在の磁極)と逆磁極との中間的なものも存在することを述べておられます。「とりまき」氏の「一度も中途半端な方位(例えば現在の低緯度方位)を向いたことがないという事実」と言う断定も疑問が生じます。
以上、地球物理学に関する事実関係はまだ不明瞭な点が多く、結論が出ていないものが多いだろうことは良く理解できますが、定説といわれているものには、十分に(納得して)理解することが困難なものが多いように感じます。自説に都合のいいデータだけを恣意的に使って立論しているんじゃないのか・・・と言う疑問を抱かざるを得ないのであります。
誤解をしているのかもしれませんので、どなたか明確に説明していただけるとありがたいと思います。
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