新・地震学セミナーからの学び
36 地向斜造山理論
大学での専攻は地質学岩石学で、卒論は北海道常呂帯、修論は同じく日高帯の中生代海底玄武岩(いわゆる緑色岩、オフィオライト)の地質や変成作用の研究をしました、とおっしゃる高校の地学の先生が、地学の教科書にプレート論以前の考え方が消えてしまった経緯を述べておられますので紹介します。
http://georoom.hp.infoseek.co.jp/3litho/24platehistorical.htm

地向斜造山論
造山運動について、プレート・テクトニクス以前の時代に地質学者が考えていたのは、「地向斜造山論」という考え方です。海底の細長い地帯に厚い地層が堆積し、やがて中心部に大量のカコウ岩が貫入し、変成作用が起こる。中心部は軽いカコウ岩の浮力を得て上昇し、山脈をつくり、浸食により深部が露出する、と言うものです。中心部にカコウ岩や変成岩があり、両側に未変成の堆積岩がある、という造山帯の姿を一般化した考え方です。19世紀、北米東部(アパラチア山地)の研究から唱えられ、その後一般化しました。日本では日高変成帯がこの典型とされ、1970年代まで、多くの日本人地質学者は地向斜造山論にそって日本列島の地史を考えていました。

 

図6 地向斜造山論

1980年代の高校教科書には、プレートテクトニクスと地向斜造山論が両方とも記述されています。例えば、1984〜86年度教科書では、島弧の地震や造山運動、大陸移動、海洋底拡大などについて約10頁分の詳しい記述がある一方、地向斜造山論に基づく日本列島の生い立ちや造山運動(図6)についても約10頁分の記述があります。出版社にもよりますが、両者の関係は不明瞭で、地球全体を地球物理学的に見るときはプレートテクトニクス、地史を地質学的に見るときは地向斜造山論といった棲み分けがなされています。その後、地向斜造山論は1987〜89年度教科書では大分後退し、1990〜94年度教科書ではコラムなどで過去の説として軽く紹介され、1995年度以後の教科書で消失しました。

 理科教員が自身の専門外の科目を担当するとき、一番困惑するのが地学です。特に地質岩石の分野がやりづらいと言います。その一つの原因として、このプレートテクトニクスと地向斜造山論の並列があったに違いありません。19世紀以前に確立された内容を教えるのに慣れている教員にとって、学界の論争がわずか(!)数年遅れで教科書を大きく変えてしまうような科目は、何とも困るでしょう(そこが他科目にない魅力なのですが)。教科書執筆陣にもプレートテクトニクス、地向斜造山論に対し、それぞれ立場や思いもあったでしょうから、学習指導要領のしばりや出版社の意向との葛藤も強かったに違いありません。当時の教科書を読むと、そんな葛藤がそれぞれ文面ににじみ出ていて興味深いです。

以上がその概要です。プレート論への抵抗論者である藤田先生の著書にも、単なる仮説に過ぎないプレート論をなぜ真理であるかのごとくに高校の教科書に載せるのか、という訴えがありましたが、「学界の論争がわずか(!)数年遅れで教科書を大きく変えてしまうような科目」である地学と言うのは勉強させられる生徒はいい迷惑(先生もか!)だと思います。

セミナー[706]にも書きましたが、石田理論はプレートモデルを捨てて地向斜モデルに戻れと言っているわけではありません。新・地震論ですがまったく新しい観点からの造山理論でもあります。(最新論点はセミナー[1596]を参照してください。)

地向斜モデルの難点を検討してみます。

一、「海底の細長い地帯に厚い地層が堆積し、やがて中心部に大量のカコウ岩が貫入」とありますが、大量の花崗岩がなぜ貫入するのか不自然です。花崗岩は水が無いと出来ないもので陸域だけに存在する岩石ということですが、太古のマグマオーシャン時代に大気中に水蒸気が充満するような環境下で、ゆっくりと冷却されて出来たのではないかと思います。(注参照)その花崗岩は陸域だった場所が海底に沈降すると、熱による変成作用が起こって変成岩になってしまうのだと思います。それで海域に花崗岩がないのではないでしょうか。海域は陸域と違って熱が奪われ難く地球内部の熱が上昇して地殻も薄くなっています。沈没した大陸の厚い地殻であっても、その下部は溶融されてしまい長期間の間には薄くなってしまうのだと思います。

二、「中心部は軽いカコウ岩の浮力を得て上昇し、山脈をつくり、浸食により深部が露出する」とありますが、軽い花崗岩と言っても個体です、固体の検討に浮力と言う流体の概念を使用するのは、アイソスタシーの考え方と一緒で、矛盾があります。浮力によって高山が出来るわけがありません。高山はかって海の底だったり平野だったところが、何回もの地震という爆発現象によって上昇したものだと思います。地表近くで起こった地震(つまり火山)によって誕生したのが小さな規模ですが昭和新山です。地下深くで直下型の大地震が繰り返されて浮上したのが、アルプスでありヒマラヤだと思います。水平方向の爆発で沈降したのが伝説のムー大陸やアトランティス大陸、日本では爪生島などです。

造山活動は、プレートの衝突によるせり上がり現象(定説地震論)でも、地向斜現象によるものでもないと思います。

三、「中心部にカコウ岩や変成岩があり、両側に未変成の堆積岩がある」というのは、堆積層も含んでその下部の花崗岩や変成岩の部分まで浮上したのだが、年月と共に、上部の堆積層は侵食されて無くなったという解釈でいいのではないでしょうか。浮上しなかった部分の堆積層が未変成の堆積岩となっているのでしょう。

なお変成岩の存在については、プレート論では説明しにくい故に授業では省略していると言う話しも載っていましたので、別に紹介したいと思っています。

以下は2013年4月11日記入

注:花崗岩の形成については[1596][1778]、[1781]などに最新の検討結果があります。

最新の模式図「石田理論による新造山仮説」

参照。

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