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181
2002/10/16(Wed) 22:21
石田 昭
トーマス・ゴールド博士の地震観 
トーマス・ゴールド博士の地震観をその著書「地球深層ガス」から再度抜粋します。

 大地震の前駆現象は、時には二〇〇キロメートルあるいはそれ以上におよぶ極めて広い地域にわたって、数日ないし数週間前に見られるという共通したパターンを示す。前兆はしばらく続くが、その間に見られる歪の変化は極めて微々たるものにすぎない。(中略)

 この広い範囲全域にわたって歪が蓄積され、すべての前兆現象を誘発するようなある臨界的なレベルまで同時に到達するなどということが本当にありうるのであろうか。そもそも、前兆現象が歪によって起こるということ自体甚だ疑問であり、歪が蓄積していながら歪計でそれを読み取ることができないというのも不可思議である。

 以上ですが、坂柳先生が指摘されるように、岩盤はガラスに似ていて、金属のような弾性は持っていません。フックの法則が成り立つ範囲を超えると破断してしまいます。破断するまでの歪は計測出来ないほどの微少なものであります。

 博士は次のように信じていると、述べています。さらに抜粋です。

 筆者は、下方からのガスの上昇と歪とを結びつけて現象の全体像を理解するべきであると信じている。(中略)

 もし、ガスが岩石を裂くなり以前の割れ目を押し広げるなりして、下方から上昇してくれば事態は一変する。多数の小さな割れ目が生じることによって岩石は弱くなり、最大強度が低下して直ちに破断点に達することになる。地震をひき起こすのはある地域における応力の突然の増大によるものではなく、岩石の強度の突然の低下なのである。

 以上ですが、これは石田理論の見解と矛盾するものではありません。石田理論では、震源付近の水が、解離現象を引き起こすために、その近辺の圧力増加につながり、岩盤に小さなクラックを発生させます。このとき地電流が流れて、磁界が発生して、地上のコンパス検知器が反応するわけですが、このクラックが進行して、岩盤を破断させると、ボイラーの爆発のような、平衡破綻型蒸気爆発を引き起こすでしょう。これが地震現象だと考えれば、ゴールド博士の地震観と石田理論は矛盾しないと言えます。解離蒸気爆発という言い方が、理解しやすく適切かもしれません。

182
2002/10/17(Thu) 22:01
石田 昭
火災旋風の原因 
T氏から関東大震災の火災旋風についてコメントがありました。「本所被服廠に避難していた4万人弱が火事で焼け死んだのは、対岸の蔵前のガス会社が爆発を恐れて隅田川に放出したガスタンクのガスに引火して「火の橋」ができたのが原因らしい。」という一説の紹介があって、次のコメントがありました。

 関東大震災最大の惨事ですが、一般的には、火災旋風による物だと言われています。下記は関東大震災・体験者インタビューですが、確かにガス爆発の様にも見えます。

(しかし)石田理論による水素ガス・酸素ガスの噴出爆発の可能性も有ると思いますが。

 という意見でした。概略次のような返事を差し上げました。

 さて、関東大震災の火災旋風の件ですが、ゴールド博士だけでなく古来から大地震の時には地下からガスが噴出することが知られています。地球内部には暴風が吹き荒れている、などということを信じていた人もあったようです。カントの地震論でも、同様な認識が示されています。

 あれだけの大地震になりますと、たいていは大きな断層(地震の傷跡ですが・・)が発生するものですが、関東大震災では、押し引きの分布から見て東京は断層が現れてもおかしくない場所に当たります。しかし、調査したがどこにも断層らしきものが現れなかったという話を聞いたことがあります。このことが意味するのは、地震の第二段階である、酸素と水素の結合収縮反応が起こらずに、そのまま大量のガスとなって噴出し、地上で結合反応、すなわち燃焼したということのように思えます。火災旋風というのは、地下からの可燃性噴出ガスが起こす現象という視点を、私は持っています。地震直後から、大火災になるのは、サンフランシスコ大地震(1906)でもその他の大地震でも同じです。家庭の火の不始末などが原因で大火災になるなどということはありません。断層が現れたほうが、むしろ結合反応が震源近くで完了するので、噴出ガス量は少なくなり、火災による災害は少なくなると思います。関東大震災は断層が現れなかったからこそ発生した大火災であった、ということが出来そうです。断層は出現しませんでしたが、地割れは都内あちこちで発生し、そこから酸素ガス、水素ガスが噴出したことが考えられます。広井研究室のデータに丸の内で見られた地割れの写真がありました。

http://www.hiroi.isics.u-tokyo.ac.jp/index-genzai_no_sigoto-tokyo_chokka_jisin-eha12.htm

183
2002/10/17(Thu) 22:27
石田 昭
大磯海岸の隆起写真
関東大震災では房総半島、三浦半島が押し領域にあたり、かなりの隆起をしたようです。ライブラリー18にある隆起・沈降分布を見ると、大磯海岸は赤色の隆起を示す領域ですが、実際に新しい海岸が海底から露出してしまった写真が広井研究室の資料にありましたので、紹介させていただきました。

http://www.hiroi.isics.u-tokyo.ac.jp/index-genzai_no_sigoto-tokyo_chokka_jisin-eha35.htm

184
2002/10/18(Fri) 09:18
石田 昭
火災旋風の正体 
関東大震災は火災による被害が甚大でありました。火災によって旋風が起こったとされていますが。旋風の正体は、はじめに砂塵がやってきて、その後一面の火が押し寄せて、一瞬にして荷物に火がついた、ということです。広井研究室資料のインタビュー記事から抜粋します。

 地震はおさまったんですが、今度は火があちこちから出て来ました。

Q:地震がおさまって一時間くらいですか?

A:そんなにありません。間もなくです。(中略)よく雑誌には4時頃から火が出たとなっていますが、もっと前からだと思います。というのは、見ていますと太陽がここらへんにあるんです。真夏ですから、私は2時頃ではないかと思います。そこへ黒い煙がワ−と来たんです。そしたら太陽が真っ赤になりました。ああ、太陽が真っ赤になったといっているうちに、ウワ−と風が吹いて来たんです。その風が来たら、痛くていられないんです。

Q:砂塵ですね。

A:はい、まだ火は来ないんですが。で、みんなタンスの影に隠れたり、毛布を被ったりしているんです。私も番頭の後をついて行って、左側に郵便局を造っていたんでポストがずっと並んでいて、そこへ入ろうとしても、もう人でいっぱいでした。やっと入れてもらったんですが、下に窓があってそこから砂が入ってきて、いられなくて飛び出してきました。そして、親父のいるところはそこだからとやっとたどり着いたら、そのときぼつぼつ火が来る頃でした。それで、妹がまごまごしていたので、七つの妹の手を引いて逃げました。ともかくアッという間でした。パ−ッとすごい火でした、全部火なんです。それで荷物に火がついて、(中略)それで、そんなに熱いのかと見ましたら、全部火なんです。

Q:本当に人生の無常ですね。被服廠に入ったときは、みんな助かったと悠々としていましたか?

A:はい。もうタバコを吸ったりしてました。そのあと砂煙がワ−ッと来て、タンスや布団の影にみんなよけていましたが、そのうち、いっせいに火がつきました。それで全部真っ赤になり、一瞬に荷物の中で焼かれたようなものでした。荷物がなければ良かったと思います。

 以上ですが、この光景は雲仙普賢岳の火砕流が、もくもくと山麓を駆け下りてくる時の光景にそっくりです。タバコを吸いながら一服していたら、突然砂塵と一面の火に見舞われたというのは、通常の火災では考えられないことです。火災によって旋風が起こったというよりも、旋風そのものの正体が、地中から砂利・小石を巻き込みながら吹き上げてきた地球内部からの可燃ガスであることを、示唆しています。拙著「地震の謎を解く」には立川から見た東京上空の雲の写真を転載してありますが、まさに普賢岳上空の噴煙を彷彿とさせるようなものであります。

185
2002/10/18(Fri) 22:28
ノリマン
集団避難は本当に百害あって一利無しなのだろうか
超有名科学者がお書きになった「知恵の書K 独創人間になる法」という書物の中で、地震予知は出来ない、防災の準備をしておけ、という主張があって、次のような文章がありました。

私が常に憂慮しまた警告を発していることがある。それは東京都などで計画されている集団避難という考えである。(中略)「避難」の意味が誤解され、人々は東京大地震が起こったら直ちに白分の家の火元をとめ、さらにカギをかけた後で町内の人たちとそろって集団避難地へ移動するというように考えている。またそれを思わせるような訓練がなされている。私の考えでは、これは百害あって一利もないやり方である。自分の家の火元を断った後で、住民のなすべきことは、自分の家あるいは地域目がけてやって来る火と闘うことである。火事の方は消防署に任せた形で集団避難などしてもらっては困るのである。

 このような自助の精神のない人たちが集団避難所から帰ってきて見いだすのは焼け落ちた白分の家や町内であろう。集団避難所それ自身も危険である。関東大地震の際には、本所被服廠跡へ集団避難した約四万人の人たちがそこで焼け死んでいる。

以上ですが、[184]にあるような火災旋風を、自宅に踏みとどまって迎え撃て、というのは、勇ましいことではありますが、ドンキホーテのように写ります。やはり一刻も早く、火の気のない遠隔地に避難することが肝心だと思います。火砕流に立ち向かって勝てるわけなどありません。またその方は、冒頭で、「新の科学者はまことに謙虚であり・・・」と書いておられますが、後半の地震は予知できない、というくだりでは、次のような言葉になっております。

 気候変動や異常気象と同様、あるいはそれ以上に難しいのが地震の予知である。移動してきた太平洋の海底が日本海溝や南海トラフから地球内部へ潜りこむために、日本の太平洋岸での大地震が起こることを一九六八年に明らかにしたのは私である。それにもかかわらず私は、いつ起こるかまでも含めた地震の予知は不可能であると考えている。

とあります。地震は直前になっても分からない、だから逃げずに闘え、ということが謙虚な姿ということなのでしょうか・・。

186
2002/10/19(Sat) 06:04
石田 昭
石本理論「押し円錐論」を科学の園へ戻す
ノリマン様

その本は私も買い求めて読んでおります。16年も前の新聞時評を編集したものですから、地震後に大火になる原因が分からず、情報も何も無い時代の考えとしては致し方のないことではないでしょうか。私はその本に書かれている次の言葉に勇気をもらいました。

「最初の仮説が奇抜であればあるほど、それが実証された場合には、自然科学に、より大きい進歩をもたらす。そういう仮説を提案した人こそが、自然科学における天才である。」

という言葉ですが、石田理論が実証されるか、されないか、決着を見るまでは、このセミナーを続けていきたいものと思っています。

 前にもライブラリーの中で紹介したと思いますが、石本巳四雄博士の天才論に「天才の一生は迫害の多きを知るが、死後その努力の順次に展開されて麗しき科学の園に百花繚乱たるを現出するのである。」という言葉があります。博士の死後、62年たちましたが、そろそろ、石本巳四雄博士の業績に光を当てて、「押し円錐論」を再評価するべきだと私は思います。分かり難くなってしまった今の地震理論よりも博士の理論のほうが、すっきりとした、シンプルなものです。私は地震が何故起きるのか、解離爆発説を考えるのに大変参考になりました。博士は昭和の天才であると思っています。

187
2002/10/19(Sat) 11:01
石田 昭
セネカとニュートンの地震観 
トーマス・ゴールド著「未知なる地底高熱生物圏」には、セネカの地震観やニュートンの地震観が紹介されています。セネカの時代にも、アフリカの二オス湖で起こったのと同じ事件があったようです。背の低い羊が大量に二酸化炭素を吸って死んだようです。少し長くなりますが、紹介します。20世紀初頭に入るまでは、学者は地震時の現象を忠実に観察し、説明できる理論を構築しようと、真剣に考えていたのです。まず最初に自分の信ずる理論ありき、などという態度は誰もとっていなかったのです。

 セネカは、地震の前に「うなるような音が、地下をざわつかせている風(気の流れ)からよく聞こえる」と書いている。そして、「地震のときによくあるように、地面にほんのわずかな地割れができても、(伝えられたところによると)ギリシャ南東部のカルキスをおそった地震で見られたように、そこから数日のあいだ風が吹きだしている」のをたびたび観察した。セネカが地震についてのみずからの研究を書く気になったのは、ベスビアス火山の噴火による大惨事の一六年前にポンペイをさんざんに破壊した地震にショックを受けたからである。セネカの伝えた格別くわしい一節を私(ゴールド)のことばで次に紹介しよう。今日の我々は、二酸化炭素を豊富にふくんだ水蒸気が上昇してくるのが原因だったと解釈しているものである。

 数百頭のヒツジがポンペイ地方で死んだ。・・・その大気はよどみ・・・それを吸いこんだら命を奪われる。また、火山のなかの火の毒で汚れ、長いあいだそこにいすわっていてから外に流れ出たときに、そのあたりの汚れのないきれいな大気を汚し、以前にはなかったその気を吸ったものが、これまでになかった病気になる。・・・ヒツジが地面に顔を近づけていたので、それだけその毒に犯されやすかったのも不思議ではない(ヒツジの体は丈夫につくられていない)。地面の近くの汚れた気が吹きかかったからである。もしその汚れた気がもっと大量にでてきていたら、人々も被害にあっただろう。しかし、汚れのないたくさんの大気が汚れた気を追い払い、人々が吸いこむほど高いところまでは立ちのぼらなかった。

 セネカは数日にわたってカンパニア地方で感じられた、ポンペイ地震による一連の余波(余震)をどう説明したらいいのか考えた。そして、おおかたが発散してしまったとしても、すべての気が最初の噴出ででたわけではなく、一部がまだ地下のどこかをさまよっていると結論している。

 アイザック・ニュートンも地震はガスと関係があるとみていた。「イオウをふくむ水蒸気がまるい地球の内部に充満していて、鉱物と反応し、突然発火したり、爆発することがある。もし地下の洞穴に閉じこめられれば、まるで鉱山爆発のように洞穴を爆破して、大地を大きくゆるがす」とニュートンは書いている。また、一七七一年に刊行された「ブリタニカ」の初版に次の記載があるのは注目される。「地震博物誌のなかでは、地球のかなりの部分が激しくゆれることで、雷鳴のような恐ろしい音がたいていともない、火や水、空気が噴出することもある。」

188
2002/10/19(Sat) 14:36
石田 昭
間違った地震観の刷り込み 
T氏より、間違った地震観が子供たちにまで刷り込まれていく現状が報告されてきました。

 極々一般的な講演内容です、私も石田先生のHPに出会う事が無ければ、何の疑問も無く受け入れていた内容です。

しかし、今、石田理論を通して読んでみますと、余りに確立された理論として受け入れられてしまっている事自体が、現象を見る目を曇らせています。

どなたに地震の原因のお話をしても、何を今更と言った反応です、確かに学校で良い成績を取るには岩石をバネにしたり、こわれるときの振動を地震の原因と、疑問も無く信じるしか無い訳ですが・・・。

http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/izu/yamaoka.html

 以上です。この講師による刷り込み作業は、当地方のテレビ画面からもなされています。地震学者は断定的に解説をしておりますが、間違った地震知識に基づいて行動し、災難にあった人達への責任は取れるのでしょうか。

189
2002/10/19(Sat) 20:58
石田 昭
目撃証言に関心が無くなる定説論者 
トーマス・ゴールド著「未知なる地底高熱生物圏」の地震再考という節で著者は、アメリカの地震研究者が、正しい進路に道を閉ざした、と述べています。また正しい地震観の啓蒙・教育と伝達手段の重要性も説いています。

   地震の原因としての深層ガスの上昇

 大陸プレートと海洋プレートのあいだの断層帯は時の流れのなかで少しずつ動いて、地殻にひずみが生じると考えられる。欧米の科学者たちは、そうしたしくみが地震の原因だと考えている。そして、こう仮定してしまうと、客観的で正確な地震計で得られたデータを採用するのにともなって、以前にはとりあげていたような目撃証言におよそ関心をもたなくなったり、地震学者の多くがその存在を知ることさえなくなった。しかし、中国や日本、ソ連ではガスで起こる現象に、はるかに高い関心を示している。日本では「地震化学の実験室」さえある。アメリカ合衆国がこの分野で遠く遅れをとっているのは、技術不足ではなく、少し前にまちがった方向転換をし、正規の進路には道を閉ざしてしまったからである

 しかし、地震多発地帯の人々は、科学論争のどちらの陣営に加担するかよりも、今なにを警戒すべきかにずっと関心があるだろう。地下ガスの活動(井戸の水位の変化や地下水面上のガス成分や圧力の変化)の観察はむずかしいわけではないし、費用もあまりかからないうえ、その記録が客観的でもある。私の考えでは、カリフォルニアやミシシッピ川中流域では、今をのがさずこの分野の知識や経験を身につければ、それによって重要な予測をするのも可能だろう。科学者たちのあつかう計器による測定は早期に注意をうながすことが必要だが、それだけでなく、人々の地震教育や伝達のネツトワークもなければならない。この二つはうまくかみあって、おそらく地震予知にかかわるだろう多くの現象の観察(質的にも量的にも)に対し、安全な対処の方法を確実なものにする。

 以上ですが、日本の「地震化学の実験室」からの成果は、アメリカ(西洋も同じか)の定説に支配されているものか、あまり聞いたことがありません。地震教育と伝達のネットワークは石田研究所設立の目的でもあります。

190
2002/10/20(Sun) 07:40
石田 昭
漢の時代の安心センサー? 
T氏から 中国で漢の時代に張衡(AD78〜139)が作った[張衡の地動儀]という 感震器の復元写真資料が送られてきました。次のページを開いてごらんください。

http://research.kahaku.go.jp/rikou/namazu/02keiki/a/changh.html

 解説文に

「中央の筒の中には頭の重い不安定な柱が立ててあり、地面が揺れた方向にこれが倒れて龍の口に通した棒を押し、その中の鉄の玉が蛙の口に落ちるしかけになっています。これで人には感じられないような遠く=の地震も知ることができたと伝えられています。

 なお、この器械のことは後漢書にありますが、実物も図も残っていないので、その記述を頼りに後世に復元されました。この張衡の地動儀は日本の地震学者が想像した内部構造をもとに作られていますが、中国ではこれとは違う外観をもち内部構造も異なるものが復元されています。」

 とあります。日本の地震学者が想像した内部構造では、あまりに幼稚すぎて、発明品として後世にまで伝えられる程のものではないと思います。中国での復元模型の内部構造が不明ですが、磁気異常を検知するような仕組みになっているとしたら、T氏のメールに添付してあった言葉「磁石がもし関係していれば、”安心センサー”と同じです。少し考え過ぎですか。」が意味を持ってきそうです。「張衡の地動儀」とは漢の時代の安心センサーであったのだ・・・と。

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