新・地震学セミナーからの学び
68 フンボルトの地震観 

(石本巳四雄「地震とその研究」p.255より) 

フンボルト Alecxander von Humboldt(1769-1859)

 フンボルトはブッフ(Leopord von Buff)と共にウエルネル(Werner)の弟子として地質學に尽くした功績は偉大なものがある。彼は地震及び噴火を以て地表に対する地下の反動現象と見倣し、地殻内深成的に生ずる力に着目して地質現象を説明した。フンボルトが実際地震と火山活動とを同一根元に置く主張は、全く活火山噴火口附近における観察からであつて、爆発の起る前に地震の発生する事を体験してからであり、火山は安全弁であると考へる様になった。

 彼れの所説は一般的に見て、地殻内部に横たわる岩漿の性質、運動に重きを置いて地震現象を説明せんと試みた事に大なる功績ある事を認めなければならない。但し彼以後の地質學者は多く地殻内に存在する横圧力を以て地質現象を説明する挙に出でたため、彼の功績の大部分は忘れられ勝ちであったのは誠に遺憾に堪えぬものである。

 フンボルトの著書「宇宙」Cosmosの中、地震に関する所説を訳出するならば

   

  吾々が考へる現象(地震と気象との関係)の密接な関係は今なお闇黒の中に隠れて居る。弾性液体は疑もなく軽く又全く害を与えない震動を地上に生ずべき原因となる。而して以上の震動は恰も大なる音響に伴って恐るべき爆発の生ずる如く、しばしば数時間継続するものである。此の破壊的作因の根元、即ち動力の淵源は全く地表下深き所に横たわるのである。但し我々は深所において極めて圧縮されて居る蒸気の化學的性質に就いて知らざる如く、此の深さの広がりに就いても知る事は出来ないのである。

 ヴェスヴィオVesvio及びキトーQuitoに近いピキンカPichinchaの深い洞穴を越へて差し出ている塔状岩の噴火口壁で、余は周期的であり又甚だ規則的の地震動を感じたのである。而して何れの場合にも熔岩滓或いは瓦斯が爆発する二〇秒ないし三〇秒前に震動を感じたのである。震動の強さは震動の出現間隔に比例して強いものであった。従ってこれは蒸気が蓄積される時間に比例するのである。斯様に多くの旅行者の証明によって確かめられた此の簡単な事実は、我々に地震現象の一般的解釈即ち活火山は相当の距離まで完全弁として存することが判るのである。地表の危険は火口が閉鎖され、大気と自由交通の禁ぜられた時に増加する。然しながらリスボンLisbon カラカスCaracas リマLima 一五五四年のカシユミルCashmirおよびカラブリアCalabria シリアSyria 小アジアの多くの都市の破壊事実からは全般を通じて活火山の附近においては震動力が最大ではない事を我々に示す。

 妨げられた火山の活動は地表の震動として現はれる。此れは火山現象として震動が現はれると同じである。割目の開口は大気と自由交通を行ふ事によって、爆発口中の円錐丘の上昇及び此等の円錐丘中に行われる行動を助長する。南米に於けるパストPasto火山では数ヶ月間煙柱の上がって居たことが観測されたが、それが突如消滅した時;、1797年2月4日キトーQuitoから192マイル南方にあるリオバンバRiobambaは大地震に遭遇した。シクラデスCyclades及びユーベアEubeaにおいて全シリアCyriaをある期間引き続き震って居た地震がカルシスChalcisの附近のレランチーヌ平野の上に熱泥の蒸気を爆発せしむる事によって急に止まった。以上此の現象の経緯については、アマセアAmaseaの賢明な地理学者に負う所多いが、なを述べるところによると、『エトナの火口が開いて火の遁出が許される様になってから、また燃える物質及び水が遁出して以来、海岸近くの國では恐らくシシリーSicilyが南イタリーから離れず、外界との交通が塞がれて居た時代よりは多く揺られない様になったであらう』と。

 吾々はかくて地震現象の中に火山活動を認めるものである。火山活動は何所にも其の作用を現し、また一般に吾々の地球の内部の熱として拡がって居り、稀ではあるがまた離隔した点においてのみ充分の強さを以て爆発現象を示すのである。岩脈の生成 ― 此れは謂わば内部から溢れ出る結晶物質で割目を充填する(玄武岩、黒?岩、緑色岩の如く)のであるが― 弾性空気の自由的内部交通を次第に妨げる。此の張力は三つの異る方向に作用する。何れも裂開あるいは急激にして上向きの隆起の原因となる。あるいは終局においてスウェーデンの大部分において第一に観察される如くに海の陸に対する相互水面の変化を来たす。而してたとえ此れは連続的であっても、単に長期間において認められると云ふ事である。