新・地震学セミナーからの学び
38 ほころび始めたプレートテクトニクス
セミナー[119]でも紹介しました卯田先生の「ほころび始めたプレートテクトニクス」と言う小論があります。見出しには、

 「一瞬で地上のあらゆる構造物を根こそぎにする巨大地震も、大音響とともに噴き上げる火山の爆発も、すべてこのエレガントな理論「プレートテクトニクス」によって理解できると信じられてきた。だが、新しい観測事夷を説明しようとすると、この理論はしばしぼ大いなる自己矛盾の中で立ちつくす。」

という文章がありますが、プレート論信仰から眼を覚ますためにも、学んでみたいと思います。抜粋して紹介します。
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「プレートテクトニクス」に生じたひび割れやペンキのはげた跡

 どのような理論や学説も、それが真実に近づけば近づくほど単純で明快である。その意味では、「プレートテクトニクス」と呼ばれる地球科学の概念も、洗練されていてわかりやすく、地球上で起こっているさまざまな変動を統一的に説明できる考え方である。
 しかし、いかに優稚な建築物も、作られてから30年もたてばあちこちにひび割れができ、ペンキのはげた跡が目立つようになる。同様に、プレートテクトニクスにおいても、理論にそぐわない観測事実が増えつつある。その食い違いを説明するために、地球科学者たちは、理論を成立させている原理的な制限をなし崩し的にゆるめ始めている。
 たとえば彼らは、さしたる根拠もなく新たにプレートの境界を設定したり、あるいはそれがないと細かな現象を説明できないからと、「マイクロプレート」を証拠もなく出現させたりする。だがこうしてプレートが増えるたびに、理論の提唱者の意図とは裏腹に、そこから説明される地球の歴史はあやふやで複雑怪奇になり、過去のさまざまな出来事は互いに何らの因果関係も共通性ももたない独立した現象の羅列となってきている。
 思いつきが十分な吟味もされずに既成事実となり、検証するデータもほとんどないのに、いつしか定説となる。そして気がつくと、どこまでが観測事実もしくは調査結.果で、どこからが単なるアイディアなのか区別ができなくなっている。単純明快な概念が非科学的で醜悪な寓話と化してしまう・・・・こうしてプレートテクトニクスは、いまやそのモデルとしての有効性に限界がきているように見える。

自己矛盾を引き起こしているプレートテクトニクス

 プレートテクトニクスによると、地球の表層部は、リソスフェアからなる硬い板状のプレート10〜20個程度によって、モザイク状に覆われているという。そして、これらのプレートが水平に運動し、別のプレートと相互作用することにより、地上では地震や火山などの地殻変動が起こると説明されている。
プレートテクトニクスの基本となっているのは、「プレートは剛体的に作用する」といういたって簡単な原理である。つまり、プレートは非常にかたいものであって、周縁部以外では祈れることもひずむこともない。地震や火山活動などをはじめとする地球表層部の主要な変動は、プレートとプレートが作用し合う境界部で発生する。
 これは、もともと地震や火山活動などが生する変動帯をプレートの境界と定めたことから、必然的に導かれた原理である。
 もちろんプレートの内部でも地震は発生し、火山活動も見られるが、そうした活動によってプレートのサイズや形が大きく変わることはないから、このように単純な原理でもあまり問題は生じないというわけだ。
 この原理によって、プレートの運動は純粋に幾何学的な問題として取り扱うことができ、それによってはじめて、過去の大陸と海洋の配置を厳密に復元することができる。もしプレートがいつでもどこでも粘土のように変形し、サイズや形が自在に変化するなら、過去の大陸の分布を復元することは不可能になるだろう。

 だが、地球科学的な観測が進むと、プレートには内部変形と考えられる地質現象が存在し、また可塑性的な挙動も見られることが認識されるようになった。そこから、プレートが剛体的に作用するという運動形態はきわめて特異であって、じつは変形するプレートの方が一般的であるという考えも出された。ここに至ってプレートテクトニクスの原理は自己矛盾を起こしてしまい、どの程度までの変形が"剛体"として容認できるのか、という主観の問題になってしまったのである。

「付加」と「コラージュ」の証拠はどこにあるのか?

 ところで、大陸は40億年もの長きにわたって海洋のそばに寄りそってきた。その間、地表から削られた砂や泥は絶え間なく海洋に流れ込み、海底に堆積したはずである。だが、海洋底にはほんのわずかな堆積物しかなく、おまけに2億年より前の堆積物は発見されていない。それ以前の38億年分の堆積物はいったいどこに消えてしまったのか。
 この奇妙なパラドックスはプレートテクトニクスによって解き明かされた。すなわち海洋プレートは、海溝で地球深部のマントルに沈み込むこと(サブダクション)によって消費され、他方、中央海嶺で新しく作られている。それゆえ、大陸は半永久的に存在するのに対し、海洋底は次々に更新されて、古いものは残らない。
 しかし、例外的に古い海洋底が残っている部分がある。沈み込む海洋プレートの上部が、もう一方のプレート(たいていは大陸プレート)の端に引っかかり、かんな屑のように薄く削ぎ落とされて、くさび状に残るのである。

 さらに、海洋プレートの上には島や海山、海台(海底の台地)、海嶺など、さまざまな要因でできた地形的な高まりがあるが、これらはプレートにのって海溝付近にやってきても、そのまま海洋プレートとともに沈み込むことができず、大陸プレートの端にくっついてその一部となる。これは大陸の面積を増加させる基本的な作用で、「付加テクトニクス」という。また、こうして新たに大陸となった部分を「異地性ブロツク」と呼ぶ。
 北アメリカ大陸の太平洋沿岸の北部には、さまざまな種類の細長い地塊が集積したと見られる地域がある。これらの地塊は大陸の基本的な構成要素とは起源が異なり、規模も小さいが、大陸的な性格をもっている。
 そこで、おそらく島や海山などが次々とプレートにのって運ばれてきて、大陸に衝突したものと考えられている。このような地塊を「エキゾチックテレーン」といい、まったく関連のないエキゾチックテレーンの寄せ集めを「テクトニック・コラージュ」と呼んでいる。

北アメリカ大陸西岸には、まわりの大陸の岩石とは性質の異なる細長いブロックが多数存在している。そこで、これらは海洋プレートに乗ってきて、サブダクションの際に大陸に付加したエキゾチック・テレーンではないかと考えられるようになった。だが、たった1個の化石や単純な岩石の分析結果などをもとに、エキゾチック・テレーンと判断されてしまう場合も少なくない。
図はMenard著「島の一生」(東京化学同人発行)にあるものです。

 付加作用とコラージュのテクトニクスは、古典的なプレートテクトニクスを発展させた独特の概念の1つであり、日本列島はこれらのテクトニクスによって生まれた地殻の典型的な例とされている。

下図は「地学教室」からhttp://georoom.hp.infoseek.co.jp/

図は西南日本の地質帯が太平洋側へ向かって帯状配列している様子を表す。いずれの地質帯もかつての付加体である。付加体とは海底玄武岩や深海底チャート、火山島、石灰岩など海洋プレート起源の物質と、陸側からもたらされた砕屑物(泥岩砂岩)が海溝内側で混合して成長したもの。このような出来事が古生代以来、数億年間続き、次第に大洋側へと成長してできたのが日本列島である。付加体は現在も西南日本沖で成長中である。ときには大きな陸地(伊豆)が衝突・合体することもある。

「地学教室」から。

 ただし、以上のような理論を具体的な地質にあてはめるときには、吟味が不十分でかなり精度の粗い議論となる場合がある。
 たとえば、南方系の化石を含む石灰岩があるという古生物学的な証拠だけでそのテレーンは付加したと断定したり、あるいは海洋島の岩石と化学分析の結果が類似しているというだけで付加したテレーンはもとは島であったとする論法がまかり通っている。
 いろいろな岩石や地層がさまざまな規模で同時に存在しているのは事実であっても、付加したという証拠が明らかなテレーンはそう多くないし、すべてが付加したものであるとは限らない。

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以上が卯田先生の論文からの抜粋です。石田理論による付加体の解釈に付いては項をあらためて説明したいと思います。