新・地震学セミナーからの学び | ||||||||||||||||||
38 ほころび始めたプレートテクトニクス | ||||||||||||||||||
セミナー[119]でも紹介しました卯田先生の「ほころび始めたプレートテクトニクス」と言う小論があります。見出しには、
「一瞬で地上のあらゆる構造物を根こそぎにする巨大地震も、大音響とともに噴き上げる火山の爆発も、すべてこのエレガントな理論「プレートテクトニクス」によって理解できると信じられてきた。だが、新しい観測事夷を説明しようとすると、この理論はしばしぼ大いなる自己矛盾の中で立ちつくす。」 という文章がありますが、プレート論信仰から眼を覚ますためにも、学んでみたいと思います。抜粋して紹介します。 「プレートテクトニクス」に生じたひび割れやペンキのはげた跡 どのような理論や学説も、それが真実に近づけば近づくほど単純で明快である。その意味では、「プレートテクトニクス」と呼ばれる地球科学の概念も、洗練されていてわかりやすく、地球上で起こっているさまざまな変動を統一的に説明できる考え方である。 自己矛盾を引き起こしているプレートテクトニクス プレートテクトニクスによると、地球の表層部は、リソスフェアからなる硬い板状のプレート10〜20個程度によって、モザイク状に覆われているという。そして、これらのプレートが水平に運動し、別のプレートと相互作用することにより、地上では地震や火山などの地殻変動が起こると説明されている。 だが、地球科学的な観測が進むと、プレートには内部変形と考えられる地質現象が存在し、また可塑性的な挙動も見られることが認識されるようになった。そこから、プレートが剛体的に作用するという運動形態はきわめて特異であって、じつは変形するプレートの方が一般的であるという考えも出された。ここに至ってプレートテクトニクスの原理は自己矛盾を起こしてしまい、どの程度までの変形が"剛体"として容認できるのか、という主観の問題になってしまったのである。 「付加」と「コラージュ」の証拠はどこにあるのか? ところで、大陸は40億年もの長きにわたって海洋のそばに寄りそってきた。その間、地表から削られた砂や泥は絶え間なく海洋に流れ込み、海底に堆積したはずである。だが、海洋底にはほんのわずかな堆積物しかなく、おまけに2億年より前の堆積物は発見されていない。それ以前の38億年分の堆積物はいったいどこに消えてしまったのか。 |
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さらに、海洋プレートの上には島や海山、海台(海底の台地)、海嶺など、さまざまな要因でできた地形的な高まりがあるが、これらはプレートにのって海溝付近にやってきても、そのまま海洋プレートとともに沈み込むことができず、大陸プレートの端にくっついてその一部となる。これは大陸の面積を増加させる基本的な作用で、「付加テクトニクス」という。また、こうして新たに大陸となった部分を「異地性ブロツク」と呼ぶ。 |
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北アメリカ大陸西岸には、まわりの大陸の岩石とは性質の異なる細長いブロックが多数存在している。そこで、これらは海洋プレートに乗ってきて、サブダクションの際に大陸に付加したエキゾチック・テレーンではないかと考えられるようになった。だが、たった1個の化石や単純な岩石の分析結果などをもとに、エキゾチック・テレーンと判断されてしまう場合も少なくない。 図はMenard著「島の一生」(東京化学同人発行)にあるものです。 |
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付加作用とコラージュのテクトニクスは、古典的なプレートテクトニクスを発展させた独特の概念の1つであり、日本列島はこれらのテクトニクスによって生まれた地殻の典型的な例とされている。 下図は「地学教室」からhttp://georoom.hp.infoseek.co.jp/ |
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図は西南日本の地質帯が太平洋側へ向かって帯状配列している様子を表す。いずれの地質帯もかつての付加体である。付加体とは海底玄武岩や深海底チャート、火山島、石灰岩など海洋プレート起源の物質と、陸側からもたらされた砕屑物(泥岩砂岩)が海溝内側で混合して成長したもの。このような出来事が古生代以来、数億年間続き、次第に大洋側へと成長してできたのが日本列島である。付加体は現在も西南日本沖で成長中である。ときには大きな陸地(伊豆)が衝突・合体することもある。 「地学教室」から。 |
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ただし、以上のような理論を具体的な地質にあてはめるときには、吟味が不十分でかなり精度の粗い議論となる場合がある。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
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