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28.大陸は動かなかったープレートテクトニクスを信じない学者


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大地は動かなかった 

地球のプレート説は成り立たない

今をときめくプレートテクトニクス理論・・・。しかし、プレート説では説明できない地球現象はいっぱいある。

              星野通平

 神に背くもの 四〇〇年ほど昔のことである。地動説と単子論 (物質の最小単位の永遠性) を説いたブルーノは、通説に背くものとして火刑に処せられた。通説に背く異端の徒に対する弾圧は、今もつづいている。
 米国の事情にくわしい友人の話によると、そこでは、通説となっているプレート説に反対する者は、ポストや研究費を獲得するのが難しいという。また、論文の出版を妨害された例もあるという。わが国でもプレート説は、文部省のお墨付の、小中高校の指導要領にとりあげられた学説である。マスコミにしても同様である。地震がおこる度ごとに、テレビのアナウンサーは、太平洋プレートとか、フィリピン海プレートとか、あたかもプレート説が天下周知の公理のように繰り返してしゃべっている。
 このような世の中で、神の声〜通説〜に逆らうことは、しかも短いことばでそうすることは、容易なことではない。
 Hのつく三人 米国の主要な海洋研究所の一つに、コロンビア大学付属のラモント地質観測所があり、ここにB・C・ヒーゼンがいた。かれは、大西洋の中央を南北に走る海底山脈を研究しているうちに、山脈の頂上に、縦に長くつづく谷を発見した。一九五〇年代後半のことであった。ヒーゼンは、この谷は地球が膨張してはち切れて出来たもので、もっと発達すると、深くて大きな海盆になる、と考えた。
 所長のM・ユーイングは、地球が大膨張をおこすという、弟子の考えに真っ向から反対であった。二人の間にはしだいに溝が出来ていった。ヒーゼンは、近くのプリンストン大学へいって、自分の考えを発表したり、それに関係した会合をひらいたりした。プリンストン大学の地質教室で、ヒーゼンの話を熱心にきいていたのは、H・H・ヘスであった。ヘスは、第二次大戦のとき、米国海軍に招集されて輸送艦に乗っていた。その時、艦の音響測深器の記録から、西太平洋のギュヨーを発見した。ギュヨーとは、海底に分布する、富士山を中腹で胴切ったような、平頂の火山である。ヘスは、特異な形のこれらの山に、自分の教室の創設者の名をとって、ギュヨーと命名した。かれは、太古の時代に火山島が波に削られて平らにされ、その後海底に沈んだものがギュヨーである、と発表した。このように着想に富むヘスは、ヒーゼンの話をきいて考えた。大洋底を二分する海底山脈は、地球の中から溶岩が湧き上がったもので、溶岩は頂上で二つに割れ、それぞれ反対方向に移動して、新しい海底をつくっていく、と。
 ヘスがこのように考えたのは、もう一人のHのつく地質学者、A・ホームズの研究が土台になっている。ホームズは、放射性元素による熱で、地球内部の物質は溶かされ、対流を行っている、と発表していた。ヘスは、ホームズの考えをとりいれて、湧き出した溶岩の板(プレート)は、内部の対流にのって運ばれていく、と考えた。     しかし、ヘスは、これを空想的なお伽話といっていた。この年(1962)、ヘスは米国地質学会会長に選出された。かれはこの着想が、当時の学会の風潮にそぐわないことを知っていた。しかし、ヘスの考えは、英国ケンブリッジ大学の地磁気研究者の成果と組み合わされて、地球物理学者の間に急速にひろがっていった。1967年の米国地球物理学連合会の総会のとき、プレート論は、従来の地球科学の学説に全面的にとって代わっていた。
 ブレートとは、万物の上に立つ神のようなものである、と私は思っている。ブレート説は、一つ一つの地質現象を分析した結果、そこから抽象された法則でもなく、発想された仮説を、一つ一つの地質現象に実証したものでもない。ヘスの着想が、あたかも公理(神)とされ、それによって万象を解釈しようとするものである。
 科学の世界で新しい発見があると、それに伴って大きな混乱がおこるのが常である。プレート説は、第二次大戦後の地球科学の新発見、つまり、大洋底(玄武岩層)の時代が若いということの徒花である、と私は思っている。
 プレート説の矛盾 「日経サイエンス」十ニ月号(一九九三)に、米国の科学普及雑誌の論文の翻訳がのっている。ブレート説王国の米国の普及雑誌にも、このような論文がのるようになったか、といささか感無量である。その内容は、世界のいたるところの海底に、インドのデカン高原のような玄武岩台地があるという。そして、ニューギニアの北東のオントンジャワ海台の広さは、オーストラリア大陸の三分の二に達する、と。プレート説によると、海洋底を構成する岩石はすべて、中央海底山脈で湧き上がり、横に移動しながら重くなり、海溝のところで地球内部に沈んでいく、とされている。したがつて、大洋底を貫いて、大量の異質の岩石が、海底に噴出することは、プレート説にもとることである。いまになって普及誌にとり上げられたこのような話は、二〇年も前に科学論文に発表されたことである。それによると、西太平洋の海盆を埋め立てた、大量の溶岩の分布が知られている。
 中央海底山脈で湧き上がったプレートは、そこで特有の地磁気の性質を与えられ、この性質は、移動するプレートに伴って海底を動いていく、といわれていた。これはブレート説を支える重要な柱である。ところが、海底の岩盤を掘って調べてみると、上層の試料と下層の試料で、地磁気の性質がちがっている例が知られた。このことは、海底の岩石層は、一枚のプレートとして湧き出したものでないことを示している。
 さらにこんなこともある。インドネシア東部の島々は、プレート説によると、南半球にあった超大陸が裂けて北上したとき、オーストラリア大陸の縁がかけて散らばったものである、といわれている。ということであれば、アジア大陸に接したことのないこれらの島々に、なぜ、アジア大陸起源のゾウ化石が発見されるのであろうか。
 多分、これからはもっと沢山、プレート説では説明出来ないことが指摘されることであろう。そして、プレート論者は、それはこれこれこういうことである、というにちがいない。しかしその答えは、しだいに辻つまの合わないものになるであろう、と私は思っている。

 海溝のギュヨー 日本海溝の北と南の端に、襟裳海山と第一鹿島海山がそびえている。これはヘスのいうギュヨーの伸問で、七〇〇〇メートルをこえる深さの海溝底からそびえる海山の頂上水深は、いずれも四〇〇〇メートルほどである。これらの頂上からは、そこが海面すれすれにあったことを示す、一億年ほど前の化石が知られている。
 米国東岸沖の埋もれた海溝の中にも、深さ四〇〇〇mの頂上に、一億年前の浅海化石をもつギュヨーがある。また、小笠原諸島の東には、伊豆・小笠原海溝と火山海溝を境するしきいがあって、ここでも四〇〇〇mの深さに、一億年前の浅海化石が発見されている。
 一方、西太平洋の海底にも、一億年前の浅海化石をもったギュヨーがたくさん発見されている。しかし、それらのギュヨーのうち、ハワイ西方のものの頂上水深は、一七〇〇mほどである。さらに西方のものになると、水深は一四〇〇mほどである。そして、小笠原諸島東方の、小笠原海台上のギュヨーでは、一億年前の浅海化石が、五〇〇〜一〇〇〇mの深さにある。この場合、もともと平らに削られたギュヨーの頂面は、北西から南東側に傾いていて、山体の北西部に新しい火山が知られている。
 大洋底のギュヨーが、海溝のギュヨーにくらべて浅いのは、その山体の下に、新しい時代の火山岩のくさびが打ちこまれて、山体が持ち上げられたからである。 海溝のギュヨーの頂上が同時代のギュヨーのうちでもっとも深く、しかも深さが同じなのは、一億年前の海面は現在より四〇〇〇mも低く、海溝はその時以来不動のためである。一億年のあいだ、大洋底に形成された火山岩層と堆積層は、海底面を上げ底にし、それに見合って、海面を四〇〇〇m上昇させた。
 海溝に、ギュヨーを持ち上げるべき火山岩層が欠如していることは、重力や人工地震波の研究によって、四〇年も前からいわれていたことである。海溝の堆積物の層がまったく乱されていないことも、そこがプレート説でいうような擾乱帯でないことを示している。
 学説の証明 回転するベルトに捲きこまれたブリキ板が、限度に達するとはじかれて元にもどる。そういう装置をつくって、プレート説による地震の発生を見学者に説明していた地質家がいた。かれは、「これで説明すれば素人にもすぐ納得させられるが、星野さんのいうようなことでは、一日たっても難しい」といっていた。力学の法則はすでに確立され、多くの人にゆきわたっている。古典力学の法則で地震現象を説明するプレート説は、多くの素人を納得させる。しかし、それには欠けたものがある。地震予知はいつになっても当たらず、外国科学者の批判さえある。
 かつて、わが国のブレート論者の一人は、有害廃棄物は海溝に沈めればよい、と語った。それはプレートによって地球内都に運ばれ、無害になるというのである。もしそうなったら、私は、その日からプレート説に転向しようと思っている。その日は来ないであろう。
 自然科学の学説は、自然現象を正しく予測し、その学説が技術に応用されたとき、万人の認める法則となる、といわれている。こうしてみると、予報も出来ず、産業にも応用されないプレート説を、公理とみる風潮は、その国の科学知識の水準を表現しているのかもしれない。

[解説]
 プレート説を信じないのは私だけではありません。星野先生以外にも、大陸移動を信じない学者はいっぱいいます。それなのに教科書にまでプレート説をのせるのはなぜでしょうか。戦後社会はアメリカ一辺倒で、学問までがアメリカ合衆国ジャパン州になってしまったような空気です。
(石田)

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