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■おもらし、ボケ、寝たきり、アルツハイマーは、 この四つの病気(というより症状だが)は日本人に最も多く、しかも年々増えている。 もしも、八十歳以上でピンピンしている老人の日常の食事を調べてみれば(これが実地検証)ビックリする程塩分をとっていることが分かる。 筆を本筋に戻そう。 先ず、おもらしである。膀胱や肛門は、その出口は括約筋でシッカリと締められていて、便が体外に出るのを防いでいる。 T社長のご尊父の白内障を治してさしあげた時に、いままで「おもらし」で、いつも肛門の周りが汚れていたのが、きれいに治ってしまった。どちらも塩不足が原因だからである。 このような時には、必要部分に血液を集めるために、その部分の毛細管が膨れて、平素の何倍もの血液を集める。 寝たきり老人に塩分をとらせると、たちまち、―――それも極めて短期間で治ってしまうことは、筆者はいくつもの実証を持っている。 本誌一月号でも二つの例を紹介してある。食塩風呂でも同様の効果がある。 塩の威力 ■寝たきり老人がアッという間に ●第一話 出張中の宿泊先のホテルにM社長から緊急の相談の電話が入った。 三〜四日後の連絡の電話では、一日一日元気が出てきているという。そして、塩をもっとスリ込んでくれという患者の希望である。 たちまち丈夫になったご母堂に、肩すかしを食ったのは親せきの人々だった。 ●第二話 友人のT君が田舎の八十歳になる母親を引き取った時には、塩不足のため歩行も杖にすがって数歩歩くのがやっとのことで、その上、おもらし。体はブクブクにむくんでいた。 食事はT君の家族と同じものだったが、「塩とるな」のキャンペーンなど気にかけるどころか、マイペースのかなり塩分のきいたミソ汁や副食であった。粗食である。 母親は恨めしそうであったが、知らんふりしていた。そして、塩のきいたナメミソ、野菜の煮つけ、漬物、メザシなどを食べさせていた。果物や甘いものはやらなかった。 その日から一日四〜五回の用足しは自分一人で行うだけでなく、そのたびに便器の周囲を歩き、次第にその輪を広げていった。 年寄りというものは、自分が老いたことを認めたがらないものである。「まだ若いものには負けない」と、一人で歩くことも覚つかないのに、「なに、一人で大丈夫だ」と強がりをいって、一人で歩いて転び、けがをするということになる。 なぜ歩けなくなるのか。なぜ塩分をとらせると寝たきりが治るのか。これは、人間の生理を知っている人にとっては自明のことである。それは後述する。 人間の生理の理解があれば、“オモラシ”も“寝たきり”も“ボケ”も“アルツハイマー“もなくなってしまうのである。これは”塩分不足“という、一つの原因から起こる”違った症状“だからである。 その実証は、世界三大長寿地といわれるロシアのコーカサス地方、エクアドルのビルカバンバ、パキスタンのフンザには、寝たきり老人はいない。正しい食事をとっているからである。 日本でも、長寿地の一つ山梨県上野原町の棡原(ユズリハラ)部落には寝たきり老人はいない。その棡原も、戦後に“文明”が押し寄せて、若い人々の健康をメチャメチャにしてしまっているのである。そして八十歳すぎの老人が、息子の葬式を出しているのだ。 それは、まさに現代日本の縮図といえよう。 長寿地には、がんも、心臓病も、脳出血も糖尿病もゼンソクもないのだ。 卵醤というのは、読んで字のごとし、生卵にタップリと辛口醤油を混ぜたもので、塩分の緊急補充に使うものである。 この生卵に、殼の片方になみなみいっぱいの辛口醤油を加えたもので、これをかき混ぜて飲む。 まれに吐いてしまう人がいるが、このときは二回に分けて飲む。食中だと吐くようなことはない。 用法は一日一個(非常の場合だけ一日二個または一度に二個まではよい)として、三日か四日続けたらいったん中止して、一週間後くらいから、一日一個で二〜三日続けたら中止する。それ以後は、一週間に一個程度とする。これは、食物により、本人の体質により個人差があるから、どのくらいの間隔で飲んだらいいかは、自分で見つけること。毎月一日から三日まで一個ずつ飲み、あとは翌月まで飲まない、という人もいる。 子供に飲ませるときには、大人との体重比の量とする。また、嫌がる場合は醤油の量を半分くらい(にしなくとも差し支えない)にして卵焼きとして分食させる手がある。 塩分が十分に体にゆきわたると、卵醤を飲みたくなくなるから、このときは飲む必要はない。すべて自然治癒力に任せることが正しい。 特別に塩分不足の人や、卵がこぶりの場合には、五日でも七日でも連続して飲んでよい。そのうちに飲みたくなくなるから、そのとき中止すればよい。無理に飲み続けてはいけない。また、生卵をご飯にかけて食べるのは、日本人の発明した健康食の傑作である。醤油の量は本人の好みでよい。そして食べ続ければよい。 これだけで、体調はまったく変わってしまい、体はポカポカして気持ちがよい。冷え症なんかは、どこかへ飛んでしまう。不思議なくらい疲れなくなって、夜は寝つきがよくなって熟睡し、朝は六時ごろ(五時ごろになったらなおよい)には自然に目が覚める。 “塩とって目覚め爽やか今朝の空” という気分を味わうことになる。寝起きが悪いのは塩分不足の証拠である。決して体質ではない。そして、朝型人間と夜型の両方兼備となる。「朝起きた時に三十分〜一時間は頭が十分に目覚めていないから云々」という説は間違い。これは塩分不足の人だけのことである。塩分十分なら目覚めた瞬間に頭も同時に覚めて、クルクル回転することを実感することができる。熟睡するからである。 スタミナは十分になり、朝の通勤ラッシュにもまれても平気の平左である。だいたい朝の通勤に一時間や二時間立ちっ放しで、押し合いへし合いをして疲れてしまうなんてのがどうかしているのだ。塩分十分ならば、こんなことは絶対にあり得ないことである。 過労死なんてのは典型的な塩分不足で、塩分十分ならば、過労死したくとも、その望みは絶対にかなえることはできない。その理由は後述する。 また、″会社ストレス症候群″といわれているさまざまな症候がある。出社拒否症、出向拒否症、帰宅恐怖症、管理職症候群、海外勤務症候群、人事異動症候群など後から後から生まれてくる。何という。″ひ弱″な症候群だろうか。これでは会社勤めなどできないではないか。 このような症候群をハネ返すのは、塩分を十分にとる以外にはあり得ない。ウソだと思ったら、塩分をモリモリとってみてください。 そこで一つ、老婆心(?)から申しあげておきたいことがある。 生理作用の塩とは「塩化ナトリウム」という元素のことであるが、食物としての「塩」というのは食物中の塩と調味料としての塩の合計である。 その自然塩のとり方であるが、先にも述べたようにこれを塩だけを水に溶かして飲むのは、効率が悪いから、飲んではいけないわけではないが、もっと効率よくとるためには、塩として単独にとるのではなくて、ゴマ塩、ミソ、醤油、漬物、梅干し、たくあん、塩と油のいためもの、というように食物と組み合わせてとるのが効率がよい。ということを心得ておいていただきたい。ということである。 これは食物の中に住んでいる″微生物″の働きで、効率が非常によくなるからである。 高血圧の原因は、その大部分は″本態性高血圧″といわれているものである。″本態性、特発性、アトピー性″というのは、原因不明という意味と思えばよい。つまり、現代医学ではまだ高血圧の原因はよくわかっていないのである。 人間の血液は、酸性になると暗赤色の粘っこい状態となり、毛細血管の中に流れこみにくくなる。そのために心臓の圧力を高めて毛細血管の中に血液を送り込んでいる状態が高血圧である。 酸性の血液をアルカリ性にするには強アルカリである塩をとればよい。これで鮮紅色でサラサラの血液となり、毛細血管に血液を送り込むのに高血圧を必要としなくなる。だから血圧が下がるのである。その実例は既に紹介済みである。 通説では、塩をとると毛細血管が締まり、血圧が高くなるというものだが、これは誤りである。 汚れた水の流れる川の内壁や底には、汚ない藻のようなものが生えるが、これが汚れた水を浄化している。これと人間の血管の中で行われている浄化作用と、よく似ている。これも自然浄化力である。 かくいう私も、かつては一六〇〜八〇もあった血圧が、一三五〜六五という超健康の状態になっているのである。血液をアルカリ性にすれば万事オーケー、脳出血など、どこの国の病気か、ということになるのである。 糖尿病の原因については多くの説がある。 右の諸説は一応もっともであることは間違いない。しかし、いずれの説も肝心なことに触れていない、というのが一倉仮説が生まれた理由である。 まず第一が澱粉質(含水炭素)には白砂糖(蔗糖)のような低分子炭化物と、ブドウ糖のような高分子炭化物と二種類あり、それぞれの特性が大きく違って、澱粉質と一括するのは明らかにおかしい。 糖尿病の原因になるのは低分子の蔗糖であって、高分子のブドウ糖は糖尿病とまったく無縁の物質である。論より証拠、東洋医学では糖尿病患者に玄米を食べさせるが、糖尿病は短期間で治ってゆく。害があるのは蔗糖と、これの仲間である果糖だけである。「白米は握りずし二つの分量が限度」というのは明らかに間違いである。 蔗糖の化学構造式は、麻薬の王様といわれているヘロインと非常によく似ていて、どちらも白くて甘い。毒性は、ヘロインは強くて激しいが、白砂糖はジワリジワリと人体を蝕むのである。それだけに、なお怖いのである。 その強い酸性は血液を酸性化し、塩分濃度を薄めるために新陳代謝障害と高血圧または低血圧を誘う。その作用は強くて速い。純粋物質だからだ。これは、化学肥料という純粋物質が速効性を持っているのと同様である。純粋物質は自然界に存在しないので、人体はこれに対応する機能を備えていないからである。 その白砂糖を、毎日多量に食べていると、血液は強度の糖分過多となり、これを中和するために膵臓のラングルハンス島からインシュリンを多量に出して中和を行う。これが続くと、ラングルハンス島の機能が過労でダウンしてインシュリンを作れなくなってしまう。 だから、糖尿病の治療には、何をおいても白砂糖、果物、甘いもの、生野菜を絶ち、塩分を多量に補給して血中塩分濃度を高め新陳代謝機能の回復を行うのである。これは、極めて短期間に急速な回復を見せる。糖尿病の治りが早いのは驚くべきものである。偉大なるかな自然治癒力よ、である。 糖尿病の治療は、白砂糖を絶ち、塩分を十分にとるほかに、それらの動きを強めるために青野菜(血中塩分を薄める)、動物質を絶ち、玄米という最良質の食物をとる。さらにラングルハンス島の機能回復のために、三種類の特効食「小豆、カボチャ、昆布」を毎日三種合計でお椀に一〜二杯くらいとる。味付けは塩味であるのはいうまでもない。 以上、高血圧、低血圧を治す段階で心臓疾患が治り、脳出血の防止ができ、四大成人病のうち、二つが片付いてしまう。残りはがんと糖尿病ということになる。がんと糖尿病の食箋については改めて述べるが、基本的には右と同じである。それだけではない。人間のすべての病気に適用できる食箋である。新陳代謝を正常にする食箋だからである。 読者諸賢は、筆者のこの記事を読まれて、自分の目を疑うどころか、世界中の人々が悩みに悩んでいる難病中の難病が、こんなにアッケなく治るなんて信じられない、と感ぜられると思う。 しかし、これは紛れもなく、筆者自身だけでなく、多くの東洋医学の指導者が、常に体験している事実である。筆者は、ウソやイツワリをいっているのではないのである。 高血圧と塩分との関係を最初に論じたのは、一九〇四年、アメリカのボンジャド博士の「高血圧に減塩療法を行って効果があった」というレポートだといわれているが、これは、あまり問題にされなかった。 戦後、アメリカのダール博士による日本の都道府県別食塩摂取量と高血圧の発生率を調べた結果、「高血圧は塩分のとり過ぎが原因」という、早とちりであった。 ところが、後にもっと詳しく部落別に分けて調べたところ、塩分摂取量が多くても高血圧にならない部落が多く存在するとともに、塩分摂取量が少ない部落でも高血圧部落が多いことがわかり、食物との関係を調べ直した結果、白米食が高血圧の犯人だということがわかったが、既存の説を覆すことはできなかった。先人観念のなせる業だろうか。 最も有名なのは、一九五三年、アメリカのメーネリー博士の行った実験である。実験用のネズミ十匹に、通常の二十倍の食塩を加えたものを食べさせ、ノドが渇いて飲む水は一lの食塩を加えたものとした。一lというのは、ネズミの血液中の塩分濃度に近いものである。 六か月後に、十匹のうち四匹が高血圧になっていた。この実験は大きな反響を呼び起こし、塩は高血圧の原因として敬遠されるようになったのである。一犬が虚にほえて万犬がそれを伝えたのだ。 何と妙な話ではないか。血圧の上がった四匹のことだけが問題視され、血圧の上がらなかった六匹はまったく無視されてしまったのである。 こうした細工が、どこで行われたか知らないが、そのために「塩をとると血圧が上がる」ということになってしまったのである。インチキ極まる話ではないか。 これとは別に、私には実験そのものに、いろいろな疑問が生まれてくるのである。 通常の二十倍の塩というのを、人間に当てはめてみると、一日一〇cが通常だとしても、その二十倍だから、二〇〇cということになこんなに多量の塩分を、六か月どころか一日でもとれるものではない。もしも一日百cずつ二日もとれば、三日目には欲にも得にも体が受けつけない。無理にとれば吐いてしまう。これは、後述する私の塩の過剰摂取の人体実験からして間違いない。生物体とはこういうものである。 神の与えたもうた自然治癒力は身体防衛力を持っており、こんなベラぼうなことを絶対に受けつけないからだ。 だから、この実験にはどこかに何かのウソかカラクリがある。 もしも、これが本当ならば、ネズミは人間とは違った生理を持っていることになる。すると、こうしたネズミを実験に使っても、人間には適用できないということになってしまう。このパラドックスを、どう解けというのだろうか。 私の行った多くの実験では、自然塩をとると、血圧は見事に、しかも急速に下がってゆく。例外は一つもない。 ところが、精製塩(塩化ナトリウムの純度が九九・五lのもので、食卓塩がこれである)をとると血圧が上がる。多くの人が体験していることである。これは、精製塩というのは食物ではなくて有害な"薬品"だということである。 人間が普通とっている食物には、純粋なものは一つもない。こうした食物に順応してできている体には、自然界にない純粋な物質をとっても、体にはそれに順応する力がない。 余談だが、純水や純酸素は赤血球を分解してしまう。純粋なものは、いかなるものでも人体に対しては毒性を持っているのである。
「正食と人体](一)、(二) 発行所 致知出版社 東京都渋谷区神宮前六丁目十二番十八号 |
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