新・地震学セミナーからの学び
29 八丈島の丹那婆伝説
八丈島の丹那婆の伝説は何を意味するのか

〔今もある彼女のお墓〕

大洪水の伝説は世界中にありますが、日本にも、八丈島の島民の祖先は、大洪水をただ一人生き残った丹那という女性である、という伝説があります。昔大津波が襲って、島民全てが流されたときに、彼女だけが舟の櫓につかまって波間をさまよい、助かったのだそうです。彼女は妊娠をしていました。やがて玉のような男の子を産み、そのわが子との間に子孫を増やしていったのだそうです。それが島民の祖先になったという話です。八丈島には今も丹那のお墓と伝えられるものが何箇所かあり、案内されて訪れたことがあります。彼女のことを櫓を抱えていた女性という意味で、櫓抱女子(ろかこみにょこ)と言うのだという話も聞きました。世界中にある大津波、大洪水の伝説は、ポールシフトという地球の地軸変化が、大変な惨事を引き起こしたことを意味しているのではないでしょうか。

今から22年前(1981)、八丈島へ津波の調査に行ったときに、郷土史家の案内で丹那婆の伝説をお聞きし、そのお墓へも案内していただきました。その時の写真です。スーツ姿は39才の時の私です。郷土史家のお名前は失念しました。
丹那婆の墓(八丈町教育委員会が建てた立て札がありました)
筆内幸子という方の短編小説に「丹那婆」(北国出版社1981.6)というのがあります。その見開きに次の紹介文がありました。

"丹那婆" 海中噴火の大津波により八丈島の人々は絶滅状態となる。生き残つたのは妊娠していた丹那一人だけだった。

やがて丹那は男児をうみむ。襲いくる死の恐怖におびえながら丹那は、母子相姦による子種づくりに必死となる・・・。八丈の始祖丹那婆伝説が著者の麗筆で鮮やかに描かれる。

とあります。小説の最後には

「八丈島には丹那婆の碑が三つあったという。三根、末吉、大賀郷、今残っているのは、末吉の坂の途中の八丈まぐさの藪の中にうずもれているが、「丹那婆の碑」という文字が辛うじて読める。

とあります。上の写真はその末吉にあるものです。もう一箇所案内されましたが、藪の中に石だけが積んであるもので、郷土史家に教えてもらわなければ、それとは分からないようなものでした。

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